HMU 達弥西心

2017年12月18日

●風間旅人随想(2017/12)(6/10) - HMU 達弥西心

一言で言うと、投げ出さないこと。放り出さないことです。何度でもチャレンジしていくこと。神さまのやり方はおもしろいもので、何かをマスターさせようとして、五つの項目があるとしますよね。その全部をザーッと同じように上達させることはしません。例えば問題が出されて、天才的にひらめいて解けたということがあるかと思えば、「どうしてこんなことを失敗するんだろう?」ということもあります。こういうふうに交互に極端に起こすのです。そうやって、間違ったところをしっかりと覚えるようにさせるのです。


oitokuyo at 08:00|Permalink

2017年12月17日

●風間旅人随想(2017/12)(5/10) - HMU 達弥西心

意識を上げるにはまずは常に「意識しておくこと」が必要です。さぼると一気に下がってしまいます。一番いいのはどれかと言われましても、それはわかりません。自分でつかんだやり方、自分なりのやり方が一番いいと思います。


oitokuyo at 08:01|Permalink

2017年12月16日

●風間旅人随想(2017/12)(4/10) - HMU 達弥西心

知りたいときというのは、「たった一つ」とか、「コツのコツを教えてください」とか、「一言で言うと何ですか」と、いろいろ聞かれます。でも、自分が上達するとか成長するときというのは、自分が取り組んでいる中に、本当にもたもたしたようなやり方かもしれませんが、それを一生懸命にやっている中で一つ一つ上がってくるものです。誰かに教えてもらったからいきなり第三段階までスッと行けるかというとそうはいきません。やっぱり一つ一つをちゃんとやっていくこと。それが大事なことだと思います。


oitokuyo at 07:59|Permalink

2017年12月15日

●風間旅人随想(2017/12)(3/10) - HMU 達弥西心

「本当はどのようにすることが一番意識をあげていけるか」というふうに、「一番を教えてください」とか、「たった一つを教えてください」と聞かれることがありますが、まず自分ができる部分をしっかりとやっていくこと。そしてそれの中から一つずつ上げていくことです。


oitokuyo at 08:00|Permalink

2017年12月14日

●風間旅人随想(2017/12)(2/10) - HMU 達弥西心

こういうふうに考えると難しくなります。日頃から意識を高くすることを心がけていたら、気が付くたびにセッセと磨いてもらったらいいと思います。それで、上がらなくなってきたときに、「これをもう少し上げるにはどうしたらいいか」というふうに考えてもらった方がいいと思います。実際的にどうしたらよいかと考えるのです。


oitokuyo at 08:00|Permalink

2017年12月13日

●風間旅人随想(2017/12)(1/10) - HMU 達弥西心

意識をあげるとか意識を高くするとかを日頃から心がけていますが、実際の所、本当はどのようにすることが一番意識をあげていけるのか教えて頂ければと思います。特に、体力を使うことをしていると、意識をあげることが疎かになりがちになるような気がしていますので。
スタッフからの質問です。


oitokuyo at 08:00|Permalink

2017年11月24日

●風間旅人随想(2017/11)(6/6) - HMU 達弥西心

人生が始まったときには、どう生きて、いつ、どのように終わっていくかが明らかに決まっています。つまり人間は、神の想定内の人生を生きるのです。
(西)


oitokuyo at 07:59|Permalink

2017年11月23日

●風間旅人随想(2017/11)(5/6) - HMU 達弥西心

ちょっとしたことでいいですから、「自分はこれにはこだわる」ということがあったら、それに一生懸命に取り組んでみることです。例えば掃除でも、きちんとできたとか、素早くできたとか、時間内にできたとか、そういうことを自分ごととしてとらえてやってみたらどうでしょうか。そうすると、だんだん「もうちょっとこうしよう。これはこうしよう」というのが見えてくると思います。


oitokuyo at 07:59|Permalink

2017年11月22日

●風間旅人随想(2017/11)(4/6) - HMU 達弥西心

「興味があるように演じてゆく」とありますが、興味がないことは演じられませんから、興味に向かうのは仕方がありません。だけど大事なことは「生きていくことを自分ごととしてとらえること」です。


oitokuyo at 07:59|Permalink

2017年11月21日

●風間旅人随想(2017/11)(3/6) - HMU 達弥西心

自分ごととしてとらえられるようになったら、今度は神ごととしてとらえられるようにならなければなりません。神(天意)はこの私にどう生きろと期待しているのか、です。自分ごとでもとらえられない、何をやっても他人事、無関心という人がいますが、これでは進んでいきません。進んでいきようがありません。


oitokuyo at 08:00|Permalink