●どうして悲しいのかな - HMU 達弥西心●モノはなぜ消える - HMU 達弥西心

2009年06月15日

●モノは消える - HMU 達弥西心

強欲な心は、モノとして生きて、モノを取り込み、モノを自分のもとに集めることが価値あることだと思いこんで生きる私たちには至極当然のこと。人間のからだはモノである。なぜならばやがて消えるから。つまり現れては消えていく幻みたいなものなのだ。モノは消える。ココロは消えない。このまぼろしがどうやってからだを維持するかといえば、やはり幻であるモノを取り込み、集めるのだ。モノを食べると元気が出る。お金を集めると安心する。ココロあたたまる話を聞いただけでは元気は出るが、おなかは空く。食べ物という幻たるモノを、からだという幻たるモノの中に取り込まないと、幻として消えていく前に死んでしまう。
強欲な心は、取り込む、集めるにブレーキがかからなくなってしまうからだ。少しでも多いほうがよい。あれもこれも、もっともっとたくさん、とエスカレートするのは当然か。モノとして最期には、すべて自分から離していくことになるのにね。それを悲しいと思うのだ。せっかく集めたのに、と。
また、モノとして存在すると、やたらと順番というものが気になってくる。自分はあいつの上だろうか下だろうか、先だろうか後だろうか。本当はどっちでもよいのに。
いずれ消えるのに。
その自分なりの自分の位置を脅かされると、怒る。自分を重要に扱われないと不安になって、愚痴を言う。怒りの心も、愚痴を言う心もモノという存在の悲しみの表れなのだ。
達弥西心


oitokuyo at 10:00│ HMU 達弥西心 
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