2016年10月20日

●風間旅人随想(2016/10)(7/9) - HMU 達弥西心

これを読んだときに浮かんだのが、自宅の裏山に自生している榊のことでした。この榊は摘んで置いていても確かに長くもつのです。ということは、もしかしたら手に入ったあの山の土地にも榊があるんじゃないかな、と思って専門家に見てもらうと、ありました。先ほど言った理由によって榊は榊の木に、いえ榊の樹になって背は高くなっているのですが、ありました。日の光を求めてずっと高くなっていました。それで、この木の枝を採取してそれを挿し木にして、あの一帯を榊の畑にしたらいいかなと思いつきました。私も、枯れない日本の榊を栽培しようと思ったのです。そのための土地だということがわかりました。ただ木の背が高いですから、地面に挿し木をしてそこで摘めるようにしようということで、とりあえずは高くなった榊にはしごをかけて採ってそれを出荷することにしました。そのうちに挿し木をした方が伸びてきますから。このためのこの土地なのだ、ということです。土地が手に入ったもののどうしていいかわからない。でも、最後にはそうなります。「このためなんだ」と思えば、思い切れば、もっといえば思いを変えれば成っていくということです。


oitokuyo at 08:00│ HMU 達弥西心