2015年05月

2015年05月22日

●風間旅人随想(2015/05)(3/3) - HMU 達弥西心

今春、京都に住んで初めて近所の散髪屋に入った息子が、髪を洗ってもらっていると店の主人から唐突に聞かれたという。「おくにはどちらですか?」息子が 「え?くに?あ、ああ出身は福岡です」と答えたという。最初はどこの国の人ですか?と聞かれたと思ったという。うつむいたまままさか!と考え直した。ふるさとはどちらですか?と聞かれたのだった。私も全国あちこちに住んだが、結果、私のふるさとはここだ。あなたにも、あちこちに住んだところがあって、そのなかにふるさとと呼べる場所がきっとあるはず。そういうふるさとがある人も、ない人も、ここ私のふるさとはどうだろう?ここをなじみ深い土地にしませんか?ここに移り住みませんか?というのが、私の「やのくにくにづくり」なのだ。そう、この私のふるさとをやのくにと名付けた。私の自慢のふるさとはさびれてほしくない。山や川、田んぼや畑、土地は荒れてほしくない。子どもたちがたくさんいて、おとなの笑い声が絶えてほしくない。いつも賑やかであってほしいと願う。やがて私がいなくなっても、あとにつながる人たちが喜んで生きるふるさとであってほしいと願う。
(西)


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2015年05月21日

●風間旅人随想(2015/05)(2/3) - HMU 達弥西心

40年以上前に吉田拓郎というフォーク歌手がギターをかき鳴らしながら、「人生をいまだ語らず」などと唄っていた。かっこいいなと思って聴いていた。あれから40年経って、いまだに「人生をいまだ語らず」はないだろう、あってはいけないだろうと思う。ドイツの哲学者ニーチェの有名な言葉「これが人生というものか。よし、さればもう一度」でなくっちゃいかんだろう。そしてもう一度生きてみようとするなら、あとどれくらい年数が必要かだ。気が付かずに生きたその40年分は必要だろう。あと40年くらいかけて、人生の生きなおしをしてもいいかなと思っているのだ。この世に生きる間人はどこかに住む。そのどこかにふるさとがあるはずだ。もちろん「自分が生まれた土地」という意味もあるが、「かつて住んだことのある土地。また、なじみ深い土地のこと」と広辞苑にある。


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2015年05月20日

●風間旅人随想(2015/05)(1/3) - HMU 達弥西心

がんばってもできないことには寛容になって、がんばったらできることに渾身で取り組む。そんな、これからの人生を生きていこうと思う。「これが人生というものか。よし、さればもう一度」。64歳の今、私はそう思っている。あと40年くらいかけて、人生の生きなおしをしてもいいかなと思っているのだ。このごろやっと人生というものがわかった気がする。


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