2015年03月

2015年03月20日

●風間旅人随想(5/5) - HMU 達弥西心

なんにも無いからなんでもある!目に見えないものとともに生きれば、なんでもある。見えてくる。私独自の逆転の発想だ。逆の生き方だ。
(西)


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2015年03月19日

●風間旅人随想(4/5) - HMU 達弥西心

脳(アタマ)基準ではなく魂(ココロ)基準で生きていると、この世を生きるが故の苦しみにはまったく無縁になる。欲にしても、怒りにしても、愚痴にしても、この世を生きるから、モノとしてこの世の世界をとらえるからわき起こる感情(毒)だろ?身体を持って生きながら、からだが無いがごとく生きれば、四苦八苦も、煩悩も、なんにもない。


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2015年03月18日

●風間旅人随想(3/5) - HMU 達弥西心

私には欲もないし、怒りも覚えない、愚痴を思ったことはまずない。三毒の煩悩がない。いつかなくなった。え?ない?そう、ない。


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2015年03月17日

●風間旅人随想(2/5) - HMU 達弥西心

私は人生を苦しいものだと思ったことがない。大変なことはいろいろあった。「ああこれは逆だな」と思うことはしょっちゅうだがそれを苦しいものだと思わない。思い通りにいかなかったり、試練があったり、たしかに生きることは大変だが、ちっとも苦しくはない。このごろ改めて『親鸞聖人を学ぶ』(一万年堂出版)という本を読みながら、親鸞が生きたようにこんなに苦しいものだと感じたことがなかったなあとしみじみ思った。なぜなのだろう。


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2015年03月16日

●風間旅人随想(1/5) - HMU 達弥西心

四苦八苦だとか、「欲」「怒り」「愚痴」の三毒の煩悩だとか、生まれてきた原罪だとか、やたらと宗教は前提として人生を苦として捉えている。


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