2014年10月
2014年10月25日
●風間旅人随想(2014/10)(2/6) - HMU 達弥西心
■そして最後には、全部投げ出す
そしていよいよ最後には、全部投げ出すことです。全部、返していくことです。この世の人生が終わるときは、働かなくなるときです。『働き終えると人は死んでいく』のです。これはとても大事なポイントです。人は働くために生きていたのです。
ですから、働き終えるということは(「はたらき」が終わるということであり)、役割がなくなるということです。役割がなくなるから終わっていくのです。役割があるうちは役割を果たさなければなりません。
テーブルの上のグラスも、床に落ちて壊れたら、使えなくなります。役割が終わるから捨てられるのです。役割がある以上は、何かのはたらきをします。
ですから、この世に存在しているということは、まだ働く余地があるということです。生涯現役とか終身現役と言われて、「ああ、死ぬまで働くのか」と、そういう考え方ではなくて、生涯現役は神さまが願っている姿勢だと理解することです。生涯現役をどう果たすか。自分が得てきたもの、自分が持っているものを、すべて与えきるのです。教えてあげる、伝えてあげる、なんでもあげるのです。みんな、よろこびます。
うれしい新聞第100号の次は、うれしいことを教えてあげる第101号を目指します。
そしていよいよ最後には、全部投げ出すことです。全部、返していくことです。この世の人生が終わるときは、働かなくなるときです。『働き終えると人は死んでいく』のです。これはとても大事なポイントです。人は働くために生きていたのです。
ですから、働き終えるということは(「はたらき」が終わるということであり)、役割がなくなるということです。役割がなくなるから終わっていくのです。役割があるうちは役割を果たさなければなりません。
テーブルの上のグラスも、床に落ちて壊れたら、使えなくなります。役割が終わるから捨てられるのです。役割がある以上は、何かのはたらきをします。
ですから、この世に存在しているということは、まだ働く余地があるということです。生涯現役とか終身現役と言われて、「ああ、死ぬまで働くのか」と、そういう考え方ではなくて、生涯現役は神さまが願っている姿勢だと理解することです。生涯現役をどう果たすか。自分が得てきたもの、自分が持っているものを、すべて与えきるのです。教えてあげる、伝えてあげる、なんでもあげるのです。みんな、よろこびます。
うれしい新聞第100号の次は、うれしいことを教えてあげる第101号を目指します。
2014年10月24日
●風間旅人随想(2014/10)(1/6) - HMU 達弥西心
■見えないけれど、行く
《さて人生の目的です。モノはまぼろしです。いずれ消えて無くなっていくからです。》とあって、《人生の目的は、生きて変化(成長)しながらも、結局は消滅することでしょうか。消えて無くなることでしょうか。消えて無くなるまぼろしを追いかける人生はむなしいでしょう。》(私の著書『人生経営プログラム』)と言っています。
変化することが目的だと言っても、成長することだよねと言ったとしても、最後には無くなるのだと分かったら、無くなることを前提に生きていくことは虚しくはありませんか、ということです。
目に見えるモノを中心として人生の目的を考えると、どんなに考えても、どんな考え方を持ってきても、無くなるのは事実ですから、無くなることをどう受け止めるかというと、虚しいと受け止めるしかないのです。これは意味があるんだ、とてもよいことだ、ということにはならないのです。消えていくのですから。いままであんなにがんばってきた、それはいったいどうなるの?ということになりますよね。
この『うれしい新聞』も創刊8年を過ぎ、毎月発行して今号で通巻100号を数えます。これで到達でしょうか。これでおしまいでしょうか。100号が目的だったでしょうか。いいえ。到着点の向こうにさらに目的がなければ、明日からまた歩いて行けません。人生の到達点の向こうの目的地とはどこでしょう。そこに向かってまた歩き出します。見えないけれど、行く、のです。
1・2・3・4・5・6・7・8・9。9の次は、え?そう!0です。そしてまた1・2・3・4・5・と繰り返します。その10回分の繰り返しの結果が100なのです。
《さて人生の目的です。モノはまぼろしです。いずれ消えて無くなっていくからです。》とあって、《人生の目的は、生きて変化(成長)しながらも、結局は消滅することでしょうか。消えて無くなることでしょうか。消えて無くなるまぼろしを追いかける人生はむなしいでしょう。》(私の著書『人生経営プログラム』)と言っています。
変化することが目的だと言っても、成長することだよねと言ったとしても、最後には無くなるのだと分かったら、無くなることを前提に生きていくことは虚しくはありませんか、ということです。
目に見えるモノを中心として人生の目的を考えると、どんなに考えても、どんな考え方を持ってきても、無くなるのは事実ですから、無くなることをどう受け止めるかというと、虚しいと受け止めるしかないのです。これは意味があるんだ、とてもよいことだ、ということにはならないのです。消えていくのですから。いままであんなにがんばってきた、それはいったいどうなるの?ということになりますよね。
この『うれしい新聞』も創刊8年を過ぎ、毎月発行して今号で通巻100号を数えます。これで到達でしょうか。これでおしまいでしょうか。100号が目的だったでしょうか。いいえ。到着点の向こうにさらに目的がなければ、明日からまた歩いて行けません。人生の到達点の向こうの目的地とはどこでしょう。そこに向かってまた歩き出します。見えないけれど、行く、のです。
1・2・3・4・5・6・7・8・9。9の次は、え?そう!0です。そしてまた1・2・3・4・5・と繰り返します。その10回分の繰り返しの結果が100なのです。