2012年02月

2012年02月20日

●風間旅人随想(2012/02)

18年前の1994年3月、私は、大船渡、釜石、気仙沼を講演して回った。講演会場になった市の体育館には大漁旗が数多く飾られ、港には船が行きかって活気があった。その記憶が鮮やかによみがえるだけに、早く元通りにと願っている。復興を心から願う。(西)


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2012年02月19日

●風間旅人随想(2012/02)

『津波てんでんこ』。悲劇と奇跡を分けたのは『津波てんでんこ』だったのだ。『津波てんでんこ』、それは冷たい話のように聞こえるかもしれない。だけど津波に襲われた時のこのうえない危機管理法である。自分はどうする?真のひとり歩きが求められている。山の上に集団移転させるより、今までいたその場所で復旧し、復興を目指すのがよい。山の上は駆け上る避難公園として整備するのがよい。そして『津波てんでんこ』を日々訓練する。


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2012年02月18日

●風間旅人随想(2012/02)

三陸海岸地方には「津波が来たらどうしたらいいか」という、いわば危機管理法のような言い伝えがあるそうだ。その地方に住むほとんどの人がよく知っている言葉だ。『津波てんでんこ』。「てんでんばらばら」の「てんでん」だ。「津波が来たら人のことを構わずに自分がまず高いところに一目散に逃げろ」ということだ。「みんなで逃げるのではなくて、人のことを心配するよりもまず自分が逃げろ。てんでんばらばらに逃げろ」というのが言い伝えだ。これがたくさんの人の命を守る一番の方法だと。


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2012年02月17日

●風間旅人随想(2012/02)

一方、「津波が来るぞ」。ただならぬ激しい揺れが収まると、大声を上げながら最初に走り出したのは、部活動などでグラウンドに出ていた生徒たちだったそうだ。3月11日午後2時46分、マグニチュード9の巨大地震による激しい揺れで、岩手県のある中学校の校内放送は停止したため、「逃げろ」という先生たちの指示は伝わらなかった。しかし、先頭切って駆けだした生徒たちを追うようにして、校内にいた生徒たちも避難場所に指定されていた高台のグループホームを目指して走り出した。隣接する小学校の児童たちも、校舎の中にとどまってはいなかった。これまで何度も合同避難訓練に取り組んできた中学生たちが高台を目指す姿を見ると、階段を走り降り、校舎を飛び出してその後を追ったのだ。そして、互いに励まし合いながら、高台を目指して子どもたちが走り去って間もなく、これら2校の校舎は津波の直撃を受けた。間一髪だったのだ。「釜石の奇跡」と呼ばれている。それだけにとどまらず、釜石市内では約3000人の小中学生のほとんどが押し寄せる巨大津波から逃れて無事だった。この「奇跡」を支えたのが、「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」の「避難の3原則」だったという。(以上、ブログより引用)


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2012年02月16日

●風間旅人随想(2012/02)

全校児童一〇八人のうち六八人が一瞬にして命を落とし、六人が行方不明になったという小学校の悲劇は、教育現場を襲った災害として歴史に深く刻みこまれることになった。だが、それだけに限らない。単なる天災で終わらせることができない背景があるからこそ、長く記憶に留められるかもしれない。小高い裏山に駆け上がる提案を却下されて、集団で土手まで逃げたところを津波にのみ込まれたという。


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2012年02月15日

●風間旅人随想(2012/02)

復興するには、まずは元通りに復旧することだ。元通りなら誰にも描ける。希望を持って活き活きと描ける。前向きになれる。去年を象徴する漢字『絆』は温かい言葉ではあるが、一人ひとりが復興していくには、無力だ。自分はどうする?が問われている。


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