2009年10月

2009年10月06日

●0に始まって0に戻る - HMU 達弥西心

「欲のない子だね」と呆れられても、幼いころは誰しもそうだと思う。それが、何かを切っ掛けに小さな欲を持つ。頑張りを見せ始める。小さな欲はやがてスケールの大きな欲へと変わっていく。小欲から大欲へ、人間の欲望には限りがない。限りがないから無限欲だ。

そして、限りがない無限欲から欲望そのものがない無欲へ。無欲が最高に気持ちいい。自分を守る必要がない気持ちよさ。

ふと気がつくと、無欲からまた無欲へ。0に始まって0に戻る。「0ぽっちのすすめ」だ。

達弥西心


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2009年10月05日

●人生は、全部放り出して、全部終わらせて行くのが一番いい - HMU 達弥西心

だからほんと、人生というのは、一人が一人ずつ、一代ずつ、やり切る。生まれて生きて、もう何にも無し、ゼロから始まって、無から始まって、作り上げて、そして最後には無に終わっていく、というかね。全部放り出して、全部終わらせて行くのが一番いい、ということを言っているわけですね。はい、それが、三つのへそですね。

だからこの本を読んで、今のこの三つの問いかけに答えられるようになっていただきたい。そういうことをテーマにしてこの本『ことばのよわんよ掘戮鯑匹鵑罵澆靴い福△箸いΔ佞Δ忙廚い泙后

そんな内容の話でした。これで、前半部分です。(了)

達弥西心

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2009年10月04日

●有って無くなる四番目、「本体が無くなるものだから、モノや念いを残してはいけない」 - HMU 達弥西心

そして四番目。「本体が無くなるものだから、モノや念いを残してはいけない」ということだね、残してはいけない。この世にね、残してはいけない。自分自身はもう霊界に帰るだけですからね。

その自分自身がこうやって、うえから派遣されてこの中に入る、そしていろんなことがあって乗り越える、そしてからだがなくなって、抜けて、霊界に帰る、という、このメカニズムというかね。これをその、自分自身の目で、自分自身の目で見る。自分自身の気持ちになって見ていくということが、大事なんです。そうすると、「自分との会話」が、よく分かる。

自分自身は常に天の言った通りにしたいと思っていますからね。それは天から派遣されたわけですから、ここで勝手にからだが求める方に、そうだそうだ、と言うことはしないからですね。やっぱり大事なことは、自分自身の念い、天の念いをちゃんとキャッチして、その通りに動かすということを自分自身は願っている、ということですね。

だから、この世を去っていくと、もうこの世にはいないわけですから、自分自身はもう元に戻るわけですから、この世には跡形もなく無くなっていい。いいし、跡形もなくなっていくことを、望んでいるわけです。

ではその、後継とか何とかという問題もありますよね。後を継ぐという問題。だからその時は、念い一つだけを残して、後は何もかも消滅するのが自然である、というふうに考えることだね。

引き継ぐのは、「引き継げよ」と言うんじゃなくて、引き継ぐ方が「引き継ぎます」というふうに言わないと、これでは念いというのは引き継いでいかないよね。これを引き継いでくれとか、引き継げ、という理由はないよね。自分は自分なりに生きているわけですから、後の人たちはまた後の人たちの生き方があるわけだから。ということだね。引き継がれなくてそのまま消滅して無くなること、それもまたいいじゃないか、と言っているよね。

達弥西心

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2009年10月03日

●有って無くなる三番目、「人生は始まってしまうと必ず最後には無くなる」 - HMU 達弥西心

そうすると三番目に、「人生は始まってしまうと必ず最後には無くなるんだ」ということ。この無くなるということを、しっかりと、あっさりとわかれ、ということを言っていますね。あっさりとわかれ、と。

達弥西心

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2009年10月02日

●有って無くなる二番目、「人生は始まってしまうと、滅多に終わるのではない」 - HMU 達弥西心

そして二番目。「人生は始まってしまうと、滅多に終わるのではない」ということだね。終わってしまうんではない、ね。人間、そんなに簡単に死ぬものではないという意味です。あの葬儀社のテレビCM「♪なかなかいかない天国社〜」みたいに、なかなか天国社にはいかない=そう簡単に死ぬものではない、ということ。なかなか終わることはないし、滅多に終わることはない、ということ。

達弥西心

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2009年10月01日

●有って無くなる一番目、「人生というものはなかなか始まらないものだ」 - HMU 達弥西心

一番目。まずね、「人生というものはなかなか始まらないものだ」、ということ。

無くなるって言いながらですね、なかなか始まらない。滅多に始まらない。だから人間はからだを持って生まれてきたこと、そのからだの中に自分自身をもらったことというのは、とっても有り難いんだよね。なかなかない。自分たちが今こうなっているから、そんなの当たり前よ、みたいに思ってしまうだけど、ない。

だから、なんで自分は生まれてきたんだろう、産んでくれと頼んだわけでもないしと思うと、これはね、一番天から言うと、悲しいことであるし、じゃあいいよと、引き上げるという形になっていきます。ということですね。だから、まず有り難いと思うこと。生まれて来ていることを有り難いと思うこと、です。

それから、いろんなことが起こってもですね、ああこれは自分のはたらきが高度になっていくためどうしてもくぐり抜けなきゃならないところだな、というふうに思うこと。もし、全然試練とかがなくて、困ったことが起こらなかったら、自分の能力とかをこれ以上引き出す必要がないわけですから。やっぱり自分が成長する時っていうのは、いろいろな問題を乗り越えた時だよね。困ったなあ、と思ったことをやった時に、今までやったことないぞ、という時に困るんですけど、困ったことを乗り越えた時にね、自分の能力というのは引き出されるわけでね。

それはもちろん、頭の中の記憶の能力もアップしますが、自分自身が今までやったこと、過去やったことで、これは使えるぞ、というのを引っ張ってくるわけですから、できるわけですよね。

それでまた、もうそのことは天は充分承知で、絶対に乗り越えられないことというのをさせるわけがないしね。自分自身はどの程度の能力、この人の頭はどの程度の能力、体験はどの程度だ、というのをみんなわかった分かった上で試練というのを出しますから。逃げちゃだめ、ということね。ほんとにね。

ほんとになかなかウェルカム、ウェルカムトラブル、というわけにはいかないでしょうけど。でも困難があるということは、ああ、なんかこれは一つ成長できるきっかけだな、というふうに思うこと、ということですね。

なかなか始まらないことを始めてくれた、ということ。有り難いということをまず、一番目に思うこと。

達弥西心


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