●小銭をもっと働かせてあげたいと思っていても - HMU 達弥西心●最強の一円玉、それより強い0円 - HMU 達弥西心

2009年07月17日

●一円玉は最小ながら最強なり - HMU 達弥西心

小銭の威力、10円玉の意地について考察してみた。

どうでもいいような話だが、小銭になったつもり、商人になったつもりで、読んでみてほしい。生き方提案の根幹なのだ。小銭の悲しみ、商人の悲しみがわかると、生きる悲しみや生きていくうえでの矛盾というものがわかってくる。

くりかえしになるが、090705●「ていねい」に生きるってどんなこと? でこんなことを書いた。

ていねいに生きるってどんなこと?小さなプラス(良いこと)をコツコツと積み上げる、積み重ねるってどうすればいいの?

先月は、この『今年の時流を読み砕くセミナー』(9会場)のほかに、月例講演『学校で教えない「金銭感覚」をどう身につけるか』(4会場)を講演してまわった。
その金銭感覚の話の中にこんな話がある。


お金はお札ではなく小銭のほうが大活躍するように遣う。特に一円玉が出たり入ったりするように遣う。支払はまず小銭から、しかも一円玉から順に遣っていく。みみっちいと思われているんじゃないだろうかなどと余計なことを考えなくても、間違いなく思われているから開き直って遣う。私も、宿泊したあるホテルで小銭から順に取り出して支払い、受け取った領収書をきちんと耳を揃えて折りたたんでいたら、従業員から言われた。「まあ、几帳面なんですねぇ。・・・男のくせに。」気にしない。せめて、「・・・男の人なのに。」とでも言ってくれると、と思ったけど、気にしない。実は充分に気にしている。それでもやる。貫く。ていねいに生きるのだ。

なぜか。お金は遣われるために存在するからだ。一番機会多く遣われなければならないのが一円玉、次に五円玉、そして十円、五十円、百円、五百円という順になる。小遣いと呼ばれるゆえんはそこにある。押し遣るように遣う。小銭は出たり入ったり動いているとき生き生きとはたらく。おつりとして使われるときだけ手渡されて、結果邪魔者扱いされて、大きなガラスの瓶なんかに放り込まれた小銭たちは動きたくても動けない、はたらくチャンスを奪われてつらい思いをしている・・・(後略)


大きなガラス瓶の貯金箱に放り込まれた一円玉は一杯になるためのその厚み分しか役割を果たしていない。一枚あろうとなかろうと厚み分だけの違いだ。

しかし500円支払うところに一円足りなくて499円しか手持ちがない時、一円玉は最強の一円玉になる。500円の買い物を実現するための最強の一円玉である。一円玉は小銭の中で最小であるが最強なのだ。この一円玉の悲しみをわかってあげることが人としての優しさであり、成功するお金の遣い方なのだ。商人はこの悲しみを知っていて商売をするべきなのだ。

ところが・・・(長くなるのでこの続きはまた明日)

達弥西心

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