2009年06月13日
●そういうふうにつくられているのかな - HMU 達弥西心
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心をもつ人間は、そういうふうにつくられているのかな。
そうであっても、そうでなくても、喜んで生きていきたいはずの人間は、三つの毒を持っている人間は、悲しいと、私は思う。
この三つの毒から脱する方法として釈尊は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の実践を教えている。戒、すなわち、ものごとの道理をよくわきまえ、定、すなわち、こころを穏やかに保ち、慧、すなわち、悪事を離れ善事を行うこと、という。できるのかな。一般社会の日常生活の中で、できるのかな。やらないといけないよね。苦行だね。悲しいねぇ。
達弥西心
そうであっても、そうでなくても、喜んで生きていきたいはずの人間は、三つの毒を持っている人間は、悲しいと、私は思う。
この三つの毒から脱する方法として釈尊は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の実践を教えている。戒、すなわち、ものごとの道理をよくわきまえ、定、すなわち、こころを穏やかに保ち、慧、すなわち、悪事を離れ善事を行うこと、という。できるのかな。一般社会の日常生活の中で、できるのかな。やらないといけないよね。苦行だね。悲しいねぇ。
達弥西心
2009年06月12日
●三つの毒と百八つの煩悩 - HMU 達弥西心
人間は三つの毒を持っている。その毒によって百八つの煩悩が生まれ、人間は誰しもその煩悩に苛まれている。と、説いたのは釈尊だった。
三つの毒とは、強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心、という。
なぜ人間は三つの毒を持っているのだろう。素朴な疑問が湧いてくる。
はい。悲しいからです。存在することが悲しいからです。
そんなことでいいのですか?生きることは喜びのはずです!とお叱りを受けるかもしれない。
よーく考えてみよう。人間は、生きているだけで、どうして強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心が湧いてくるのか、と考えてみよう。不思議だろう?
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心は、喜びかな。悲しみだよね。
達弥西心
三つの毒とは、強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心、という。
なぜ人間は三つの毒を持っているのだろう。素朴な疑問が湧いてくる。
はい。悲しいからです。存在することが悲しいからです。
そんなことでいいのですか?生きることは喜びのはずです!とお叱りを受けるかもしれない。
よーく考えてみよう。人間は、生きているだけで、どうして強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心が湧いてくるのか、と考えてみよう。不思議だろう?
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心は、喜びかな。悲しみだよね。
達弥西心