2009年06月16日

●モノはなぜ消える - HMU 達弥西心

人はどうして死んでいくのだろう。
一度は真剣に考えたことがあったろう。で、答えは見つかっただろうか。ここでもまた矛盾の悲しみを味わったかもしれない。
人はどうして死んでいくのだ。モノだからだ。モノは消える。からだはモノだ。人間(モノ)は生まれてきた(現れた)から、死んでいく(消えていく)のだ。モノとは目に見えるモノのこと。目に見えるモノは例外なく消えていく。そう、まぼろしなのだ。
モノが「まぼろし」である前は、なんだろう。
無だ。そう、何も無かった。
そもそも宇宙は闇に覆われていた。したがって、見えるものは何も無い。見えないものだけがあった。モノは何もなかった。
そこに光があった。宇宙に見えるモノという存在が現れた。存在という現象が現れたのだ。闇が先、光があと。見えないものが先、見えるモノがあと。原因が先、結果があと。
無かったものが、在らせてもらったなら、無かった状態にして戻す。だから、人間は死んでいくのだ。在らせてもらう時間には、当然限りがあるのだ。
無いから在るへ、在るから再び無いへ。ぐるぐると回り続ける。
モノは消える。それを悲しいと思うのは。未練というものだろう。
人はまぼろしとしてこの世に存在し、消えていく。悲しみに浸らないで、悲しみをしっかりと見据えて、悲しみを越えていかなければならない。
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月15日

●モノは消える - HMU 達弥西心

強欲な心は、モノとして生きて、モノを取り込み、モノを自分のもとに集めることが価値あることだと思いこんで生きる私たちには至極当然のこと。人間のからだはモノである。なぜならばやがて消えるから。つまり現れては消えていく幻みたいなものなのだ。モノは消える。ココロは消えない。このまぼろしがどうやってからだを維持するかといえば、やはり幻であるモノを取り込み、集めるのだ。モノを食べると元気が出る。お金を集めると安心する。ココロあたたまる話を聞いただけでは元気は出るが、おなかは空く。食べ物という幻たるモノを、からだという幻たるモノの中に取り込まないと、幻として消えていく前に死んでしまう。
強欲な心は、取り込む、集めるにブレーキがかからなくなってしまうからだ。少しでも多いほうがよい。あれもこれも、もっともっとたくさん、とエスカレートするのは当然か。モノとして最期には、すべて自分から離していくことになるのにね。それを悲しいと思うのだ。せっかく集めたのに、と。
また、モノとして存在すると、やたらと順番というものが気になってくる。自分はあいつの上だろうか下だろうか、先だろうか後だろうか。本当はどっちでもよいのに。
いずれ消えるのに。
その自分なりの自分の位置を脅かされると、怒る。自分を重要に扱われないと不安になって、愚痴を言う。怒りの心も、愚痴を言う心もモノという存在の悲しみの表れなのだ。
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月14日

●どうして悲しいのかな - HMU 達弥西心

そもそも、強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心はなぜ起こるのだろう。いつから潜んでいたのだろう。人間ってそういうものよ、で片付けていいのかな。
強欲の心、怒りの心、愚痴を言う心は、私たち人間がモノとして生まれてきた悲しみから出発している。モノ? そう、目に見えるモノ(存在)として出現したことに由来する。
喜びを持つことは悲しみも持つことになる。目に見える存在として現われることができた喜びは、目に見える存在として生きていく悲しみでもあるのだ。
矛盾している。そう、矛盾こそが存在の正体なのだ。矛盾ごと丸呑みするしかない。
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心はなぜ起こる、いつから潜んでいたという問題。
なんてことはない、この世に現われたとき、すでに持っていた。正確にいうと、この世に現れたから、持ってしまった。モノとして現われたから、モノが持つ悲しみを持ってしまったのだ
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月13日

●そういうふうにつくられているのかな - HMU 達弥西心

強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心をもつ人間は、そういうふうにつくられているのかな。
そうであっても、そうでなくても、喜んで生きていきたいはずの人間は、三つの毒を持っている人間は、悲しいと、私は思う。
この三つの毒から脱する方法として釈尊は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の実践を教えている。戒、すなわち、ものごとの道理をよくわきまえ、定、すなわち、こころを穏やかに保ち、慧、すなわち、悪事を離れ善事を行うこと、という。できるのかな。一般社会の日常生活の中で、できるのかな。やらないといけないよね。苦行だね。悲しいねぇ。
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月12日

●三つの毒と百八つの煩悩 - HMU 達弥西心

人間は三つの毒を持っている。その毒によって百八つの煩悩が生まれ、人間は誰しもその煩悩に苛まれている。と、説いたのは釈尊だった。
三つの毒とは、強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心、という。
なぜ人間は三つの毒を持っているのだろう。素朴な疑問が湧いてくる。
はい。悲しいからです。存在することが悲しいからです。
そんなことでいいのですか?生きることは喜びのはずです!とお叱りを受けるかもしれない。
よーく考えてみよう。人間は、生きているだけで、どうして強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心が湧いてくるのか、と考えてみよう。不思議だろう?
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心は、喜びかな。悲しみだよね。
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月11日

●こだわり - HMU 達弥西心

なぜ私が「生きていく悲しみ」にこだわるのか。
存在には時間が与えられるからにほかならない。存在は、存在することが悲しみなの
だ。
そう、生きていることは悲しみなのだ。喜びと思いたいが、悲しみなのだ。
だけど、喜んでいかなければならないのだ。
悲しみを喜びで乗り越える?矛盾する。そう、矛盾こそが存在の正体なのだ。矛盾と
は煩悩のことである。
などと、ややこしいことはよして・・・。
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月10日

●この悲しみは - HMU 達弥西心

もし、あなたの悲しみと私の悲しみがすれ違って、もっと悲しくなっても、100年経って、あなたがいなくなって、私もいなくなったなら・・・。
だから、やさしくなろう。だから、泣くのはよそう。
誰かが「人間は一人のほうがいい、失うものがないから。」と唄っていたけれど、私は、悲しくてもすれ違っても二人の方がいい。やさしくなれるから。
達弥西心


oitokuyo at 10:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月09日

●あなたはいない。私もいない。 - HMU 達弥西心

100年経ったら、あなたはいない。私もいない。
生きていくうえでいちばん確かなことを探していたら、こんなことに行き着く。
どうやら人生はそんなことになっているらしい。
だとすると、どう生きる。
100年経ったら、あなたはいない、私もいない。
達弥西心

oitokuyo at 10:13|PermalinkHMU 達弥西心 

2009年06月08日

準備中です

準備中です

oitokuyo at 10:31|Permalink