2009年06月26日

●中東に原子力発電施設次々に?宇宙的矛盾の呑みこみ方 - HMU 達弥西心

テレビで興味ある話を聞きました。

原油産出国である中東の国々がいま原子力発電施設を次々に建設しているというのです。当然電力をつくって電力を世界に売るためです。石油はどうした?これでは米屋がパンをつくって売るようなものなのになぜ?でしょう?

原油を含む地球のほとんどの天然資源はあと50年くらいで掘り尽くしてしまうという現実があります。知っていました?地球の一大事なのです。「環境にやさしい」なんてレベルではとうてい間に合わないのです。その「もと」が無くなるのです。

で、中東の国々は考えたのでしょう。自分のところの原油をくみ出すのを少しでも量を少なくして、枯渇するのを少しでも後延ばしするために、原子力発電で作り出した電力を売って…と考えたのです。矛盾なんて言っていられません。国の存亡がかかっているのです。

そしてもう少し先までアタマを使わずにぼんやり思ってみると、世界の国々が原子力発電に及び腰になっているなかで、財力にものを言わせて原子力発電の研究を進めていくうちに、世界最高峰の原子力発電施設をつくり上げてしまうだろう、ということが見えてきます。そのころ、原油の埋蔵量は底をつき、世界は原子力発電による電力で動くことになっているのです。矛盾を軽くぶっ飛ばす、宇宙的「矛盾の呑みこみ方」ではあります。

達弥西心


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2009年06月25日

●アタマで考えると整理がつかなくなる - HMU 達弥西心

よく考えよう、とか、知は力なり、とかいいますが、アタマで考えると矛盾することばかりで、整理がつかなくなるでしょう?自分がこの世に存在いていることそのことがすでに矛盾なのですから、「脳」で考えても矛盾は消えません。片付いた試しがありません。なぜ生きるの?死に向かって。子どもよ早く大きくなれ、どこまで? 人はなぜ死ぬのか。なぜ別れるのか。矛盾だらけです。

矛盾は丸ごと呑みこむのがよいのです。呑みこむしかないのです。悟って入れる、「悟入」です。

人生は、整理がつかなくても、自分で決めなければなりません。丸ごと呑みこみましょう。

達弥西心


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2009年06月24日

●自分で決める 自分で生きる - HMU 達弥西心

『自分で決める 自分で生きる』という私が書いた本は、もう読みましたか?真のひとり歩きのすすめです。ずいぶん前に書いた本です。けっこう分厚いです。このたびしばらくぶりに再び出版することにしました。百年経ったらあなたはいないし、私もいないのだから、いる間に伝えておこうと思ったのです。

私は基本的に自分で生きています、自分を生きています。あいつが悪いから自分の人生がうまくいかない、なんて思ったことは一度もありません。自分の人生は、自分で決めて、自分で生きれば、それでよいのです。

いままでいろんな本を書いてきましたが、テーマはいつも「自分」でした。

自分がいるから人生があるのです。自分がいなければ人生はありません。誰かに頼ったり、言いなりになったりは、嫌でしょう?

人生は、生まれて、生きて、死んでいくこと、ですが、自分の人生は、自分で決めて。自分で生きていくこと、なのです。

達弥西心


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2009年06月23日

●困ったとき、誰に相談する? - HMU 達弥西心

さてと・・・、親しげに問いかけてみる。
ところであなたは困ったときどうする?誰に相談する?
当然自分に相談するよね。人に相談したって、他人は自分のことをそんなに(自分ほ
ど)よく知らないし、あなたも自分のこと洗いざらい全部打ち明けて話すわけではな
いもの。自分のことは自分が一番よく知っている。
困ったときは自分に相談する。自分に聞いて自分で決める。
これなら、うまくいってもうまくいかなくても人に自慢したり人のせいにしたりしな
くても済む。自己責任っていうやつ。だいたい自分の人生について説明責任なんてあ
るの?誰に対して?
何でも自分で決めて生きてきたくせに、迷ったときだけ他人に聞くの?聞いては迷っ
ている。聞くからだよ。自分の答えを確かめたかったんだよね。確かめたいというこ
とは、答えはだいたい見つかっているんだよね。思った通りの答えが返って来なかっ
たんだ。
人生は、そう、自分で決めて自分で生きていくようになっているのです。
達弥西心


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2009年06月22日

●自分と話ができる! - HMU 達弥西心

誰かに頼るのではなく、すがるのでもなく、自分に尋ねる。尋ねると答えてくれる。
誰にでも経験があると思う。少しのコツをつかめば、たくさん、深く話をすることができる。自分と話ができるのです。
『自分と話ができる!』という本が間もなく出来上がる。私が書いた本ではない。私のことが書いてある。ベテランジャーナリストが書いてくれた。医療分野が専門だ。
彼は、植物と話ができる、犬と話ができる、イルカとも話ができることを自ら体験し、ならば自分とも話ができるはず、と思っていたところで、私と出会ったのだ。私の既著を読み、私と面談を重ね、自分の体験を織り交ぜて、一気に書き上げた。エキサイティングな内容だ。読んでみる?
達弥西心


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2009年06月21日

●知識と意識 - HMU 達弥西心

「目的」は何か、目的を果たすとはどうすることかと考えることは、三つの毒から脱するとはどういうことかと考えることになる。難行ではなく易行、苦行ではなく楽行によって、三つの毒から脱するという試みである。明るく元気に生きていきたい。楽しく生きていきたい。生まれてきてよかった、生きてきてよかったと心の底から思いたい。悲しいのは嫌だ。
からだを極限までもっていくのではない。知識でもない。
とすると、意識である。意識を上げていく。ぐんぐんと上げていくのだ。この程度だという自分の意識を、無理やりに上げていくのだ。こころの回転数がぐんぐん上がっていく。こころのエンジンが焼き切れたら、大きなエンジンに積みかえる。アタマを使うのではなく、こころを使うのだ。その方法がある。自分とどんどん会話するのだ。会話しながら意識を上げていく。そう、自分と話ができる!のだ。自分のことは自分で決めることができるのだ。私はその方法を教えている。
達弥西心

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2009年06月20日

●人生は苦なのか(釈尊の戒・定・慧) - HMU 達弥西心

090613●そういうふうにつくられているのかな で、「喜んで生きていきたいはずの人間は、三つの毒を持っている人間は、悲しいと、私は思う。この三つの毒から脱する方法として釈尊は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の実践を教えている。
戒、すなわち、ものごとの道理をよくわきまえ、定、すなわち、こころを穏やかに保ち、慧、すなわち、悪事を離れ善事を行うこと、という。」と書いた。「できるのかな。一般社会の日常生活の中で、できるのかな。やらないといけないよね。苦行だね。悲しいねぇ。」とも書いた。
ふと、難行苦行という言葉があるなら、易行楽行というもののきっとあるはずだと思った。およそこの宇宙は対称性によって構築されているからだ。光と闇、善と悪、難と易、苦と楽という具合に、だ。
三つの毒から脱するために、難でなく易を、苦でなく楽を使うことはできないのかと考える。「目的」を果たせば良いのだと考える。
達弥西心


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2009年06月19日

●人生は降り積もる雪だ - HMU 達弥西心

人生は旅なのか。未来に向かって歩いていくのか。
それとも未来の時間のほうがやってくるのか。
それとも、行くと来る、どちらも同時なのか。
自らをモノとしてとらえると、そのように考えてしまう。人生を時間ととらえると、現在の時間の感覚でとらえてしまうので、そのように考えてしまう。
しかし、私たち人間は未来に向かって歩いていってもいないし、未来のほうから近づいてきてもいない。人生は降り積もる雪なのだ。
人間は現在に立ち尽くす。そこに時間が上から降って来て、通り過ぎて、下に落ちてゆく。ただそれだけ。
存在には、存在した途端に時間が与えられ、与えられた時間分だけ変化していく。80年存在したモノには80年間という時間が与えられ、80年分の変化をしていくのだ。
雪降る中に立つ郵便ポストは、一晩で雪に埋もれてしまう。一晩分の時間が与えられたからである。その郵便ポストが何十年間か立ち続けると、やがて朽ちて撤去されてしまう。
立ち尽くす私たちは変化していく。良い方向への変化を成長という。悪い方向への変化を堕落という。降り積もる時間の中で、私たちはどう生きようか。どう変化しようか。こころの変化だ。念いの変化だ。
達弥西心


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2009年06月18日

●未来の時間、現在の時間、過去の時間 - HMU 達弥西心

宇宙には、未来の時間、現在の時間、過去の時間というものがある。
私たちは一日24時間規則正しく流れていく「現在の時間」の中に生きている。
過去の時間は私たちの前を通り過ぎると戻っては来ない。振り返ってはダメだ。
未来の時間は自由奔放に動き回っている。その速度は速くなったり遅くなったり、伸びたり縮んだり、入れ替わったりする。
時は砂時計の中の砂粒だと思えばいい。砂時計をひっくり返して、上の部分にある砂が未来の時間だ。実に自由気ままに動いている。速く遅く、動いたり止まったり、入れ替わったりしながらくびれた部分に流れ込んでくる。くびれた部分が現在の時間だ。砂粒は実に規則正しく一定のスピードで通過していく。私たちはこのくびれた部分に生きている。下の部分に溜まっていくのが過去の時間だ。
未来の時間は現在に生きる私たちに近づいてくる。昔話『桃太郎』に出てくる川上から流れてくる大きな桃のようだ。未来から流れてきた桃(時間)を現在でおばあさんが洗濯をしながら待って取り上げてチャンスをつかんだのだ。
達弥西心


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2009年06月17日

●人生は旅なのだろうか - HMU 達弥西心

スティーブンソン(作家)が言った、「希望にみちて旅行することが、目的地に到達することより、よいことである。」と。
確かに、この世を生きることを思えば、こう思うことが得策なのだろうが、人生の目的地には必ず到達するものだと考えれば、この考え方は「逃げ」でしかない。
スティーブンソンはきっと知っていた、旅行を続ける人間は目的地にたどり着いたとき、消えてしまうことを。悲しい旅行だ。消えてしまうこと、無くなってしまうことを覚悟して、人は旅行に出ていくのだろうか。
私はこう思う、「目的地のはるか向こうの目指すべき地にあこがれて、希望にみちて旅行を続けることが、よいことである。」と。私たちは目に見える世界を通り抜けて、目に見えない世界にこともなく入っていく。人生旅行の目的地ははるか向こうの見えないところにある。無いから在るへ、在るから「無い」へ。その「無い」のところに目的地はある。
達弥西心


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