2017年06月24日

●風間旅人随想(2017/06)(12/26) - HMU 達弥西心

そしてポッと家に帰って来て女房に聞きます。「場所はどこだ?」と場所だけを聞く。女房は「ここで、ここで」とすべてをしゃべります。それを聞き出して小学校の隣のその家を訪ねて行くのです。嫉妬に狂っているわけです。行ったとしても片付きはしないのですが、そこでお金を得て入院費を払っているわけですから、一件落着している話なのですけれども。


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2017年06月23日

●風間旅人随想(2017/06)(11/26) - HMU 達弥西心

それしかないというのも主人はわかるのですが、許せない。そして夫は家に帰らなくなるのです。工場の同僚のところに行っていました。その同僚に「どうしたんだ?」と聞かれるのですがしゃべらない。自分の中で収めようとするのですけれどもどうしても収まりません。


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2017年06月22日

●風間旅人随想(2017/06)(10/26) - HMU 達弥西心

「大変だったろう?」、「ええ、まあ」。「子どもは元気だったのか?」と聞かれて、思わずポロッとしゃべってしまいます。「病気をしたの。熱があって、それは良くなったけど」と言う。そこで止めておけばよかったのに、もう一つの話をする。「入院したの」と。主人はすぐに「お金はどうした?」と聞きます。当然「払った」とは言うのですが、「どうやって?」と聞くわけです。そこで泣き崩れるのです。「ごめんなさい」と言って。


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2017年06月21日

●風間旅人随想(2017/06)(9/26) - HMU 達弥西心

そうしたところに主人が突然帰ってくるのです。久しぶりに会って、まわりのみんなも「よかった」ということで、幸せの絶頂です。主人もずっと立ちっぱなしの汽車に乗って帰って来ました。大陸の方から帰って来たのでしょう。「疲れた」と言ってそのまま眠るのですが、夜になって起き出していろいろな話を夫婦ふたりでします。


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2017年06月20日

●風間旅人随想(2017/06)(8/26) - HMU 達弥西心

そういう中で女の人が金を作るとなると身を売る、いわゆる売春です。そういうチラシ広告に載っていたところに派遣される。指定された小学校のグラウンドのそばの家に出向くわけです。それでお金を作るのです。そうするしかなかったからです。それでお金が払えて、子どもは元気になりました。


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2017年06月19日

●風間旅人随想(2017/06)(7/26) - HMU 達弥西心

看護婦さんは「現金で払っていただきます」と当然言います。でもお金がない。それで悩むわけです。主人にはとうぜん連絡が取れない。周りも心配はしてくれますが、貸してくれるだけの余裕が誰にもありません。


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2017年06月18日

●風間旅人随想(2017/06)(6/26) - HMU 達弥西心

そこに子どもが病気になるのです。熱があって、医者に連れて行こうか悩むのですが、結局行ったら即入院ということになってしまって、やがて快復するのですが、さあ入院費を払わなければいけない。医者に連れて行こうか悩んでいたのはこの入院費のためです。


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2017年06月17日

●風間旅人随想(2017/06)(5/26) - HMU 達弥西心

特に、『風の中の牝鶏』という映画は、母と子が間借りしてふたりで住んでいる。主人は戦争に征ってまだ帰っていません。抑留されているかはわかりませんが、帰って来ない。それでも妻は川の土手で子どもを散歩させたりして日々を暮らしている。そんなに働いている感じはありません。当時のことですから主婦には働き場がなかったのかもしれません。ミシンなんかの内職でなんとか食いつないでいる。周りの人がささやかに応援してくれたりしているのでしょう。


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2017年06月16日

●風間旅人随想(2017/06)(4/26) - HMU 達弥西心

この三つの戦後間もなくの作品に共通しているのは、私は昭和25年生まれですが、その頃の暮らしには選択肢というものがないのです。選択肢がない中で人はどう動くか、どう生きるかという話なのです。考えようによってはある意味でとても可能性があります。戦争で何もかもなくなっているわけですから。なんにも無いからなんでもある、と開き直って生きていたのでしょう。


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2017年06月15日

●風間旅人随想(2017/06)(3/26) - HMU 達弥西心

最近DVDで観た小津安二郎監督の映画『風の中の牝鶏』は、私には衝撃でした。昭和23年上映の作品です。これまた古い映画。戦後まもなくの風景が舞台で、何気ない日常です。


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