2009年09月19日

●寂しくなる理由の二番目、「目に見える存在には存在する期限、限りがあるから」 - HMU 達弥西心

そして、寂しくなる理由の二番目が、「目に見える存在には存在する期限、限りがあるから」。有限だから。有限ということは、いずれにしろ必ずさよならする時が来る、別れの時が来るということね。今じゃないかもしれないけれど、いずれ別れが来る。

私はいろんな人とのトラブル、トラブルじゃない、向こうが勝手に言ってくるんだけれども、いろんなことを言われても、百年経ったらあなたもいないし、私もいないからね、というのがいつも自分の中にありましたね。実はあれはね、歌なんですよ。

フォーク・クルセダーズという、例の『オラは死んじまっただ』の、あの一発で終わった、一発じゃないな、二発か三発いったんですけど、あの人たちのLPの中に入っている、『百年たったら』という歌があって。もう歌詞はこれだけなんだよね。百年たったらあなたもいない、私もいない、というね。

この歌聴いたときに、そうだよね、と思ったんです。これは素晴らしいことだ!と。

だから悩みというのは百年たったら必ず消える。第一、悩みの元であるあなたもいないし、私もいないわけだから、と。限りがある、と。でもね、限りがあるということはね、自分は必ずさよならしなきゃいけない時が来る、ということだよね。

寺山修司という人が、先輩作家の井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」という言葉を引用して逆さ言葉にして「ダイセンジカケダラナヨサ」という言葉を残していますけれども、ほんとに私は「別れというのは、出会ってしまったら必ず別れる」、これをずっと思っていましたね。うん、だと思います。でもそれが、その別れがどういう意味があるのかというのが分からなかったから、悩みでもあったんですけど。でも別れは当然のことだよね。

これはよく話をするんだけれども、無い無い無いと、宇宙は無いものだけがあったわけですから、無いものだけがあったんです。これまた引っかかる人がいるんだけれども、宇宙はそもそも無いものが自然だったわけでしょ。もう光もないわけですから。

すべてはモノとして無いわけで。人間がいてもしようがない。見えないものがいても、あってもしようがないから、見えるものとしては何一つ、無かったわけですから。つまりは、宇宙には無いものだけがあったというわけですね。無い無い無い、無いのが当たり前。

それが無い無い無い無い無い、とぐるぐるぐるぐる回っているのに、突然こう、有る、というところが出てきたんですね。有る存在という、自分自身が、有ることが絶対無いのに、突然、有ったんですよね。有らせてもらったんですよね。無い無い無い無い…。有る!と来たんだよね。

これがまた有るというのがですね、今、限りの話をしていますよね。まず、無いというのがずっと永遠に無いわけですから、これがもう期限も何もない、無期限だよね。

そこに有るというのが、ずっと有る有る有る有るで、永遠に有るんだったら誰も悩みやしないんですよ。寂しくならないですよね。だって、別れることがないんだもん。

ところが、無い無い無い無い…。有る!ときた時に、有る有る有る有る…。そしてまた、無いに戻るっていうところ、です。

自分の都合から言ったら困るんですけど、困るんだけども、宇宙の都合からすると当たり前だよね。もともと無いんだから。たまたま有らしてやっているんだから、無くなるのは当たり前。無いところに有らせているわけだから、必ず無いに戻るのは当たり前じゃないか、というのを思う。そりゃ、そうだよ。どんどんどんどん増えてしまうと宇宙がいっぱいになっちゃうからね。だから無いに戻るわけ。はい。そういうことです。

だから、「なんで死んでいくんですか?」と言ったら、「そりゃあ、生まれてきたからよ」ということになる。当然のこと。私は中学生か小学生の頃に随分そのことで、なんで人間死ぬんだろう?と考えたことがあるんですね。一生懸命考えたけど、答えが分からなかったんですね。ずーっと生きていてもいいじゃないか、と思ったし、死ぬ時どうなるんだろう?と思っていたんですね。

ところが達弥西心になって、うえに聞いたら、あっさり言われた。「なぜ人間は死ぬんですか?」と聞いたら、あっさり言われた。あの頃暇だったからいろんなこと聞きましたけどね、小さい頃に思っていた疑問を全部聞いたんですね。そうするとあっさり答えた。「それは当たり前じゃないか。おまえが、生まれてきたからだよ」とね。生まれてきたものは全部死ななきゃいけないと、そういうのが、宇宙の法則ですよね。

それでそれを、そうなんだ、と完全に思い切れば、寂しくないんだけど、いやだ、とどこかで、この有ることが当たり前、当然で、有ることがもともと中心で、無いことが不自然だと思っているところがあるから、どこかでいやだ、というところ、寂しくなってくるところがあるよね。いつまでもそれできないわけだから。ということです。目に見える存在には必ず存在する限りがあるわけですね。「有限であるということ」。はい、これが、人が寂しくなる、二番目の理由です。

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2009年09月18日

●寂しくなる理由の一番目、「目に見える世界を、目に見える存在として生きていくから」 - HMU 達弥西心

寂しくなる理由の一番目、まずはこの世をですね、この世というのは目に見える世界ですね。「目に見える世界を、目に見える存在として生きていくから」です。目に見える存在として生きていく、ここにポイントがあってね。「目に見える世界を目に見える存在として生きていくから」。これが一番の理由ですね。

もし目に見えない世界を目に見えない存在として生きていたら、寂しさは感じないと思います。永遠に目に見えない存在として居続けるわけですから。目に見える存在になるということは、いずれ目に見えない存在になるということを知っているからですよね。簡単に言えば、こうやって生きているけれどもいつまでも生きていくわけではない、というのを誰から教えられたわけじゃないけど、なんとなく知っているよね。なんとなく知っている。

ああ、この間のラストライブの時にね、私、108まで生きると言っていましたけど、実際は70いくつか、80くらいかなあ、と思っていますね。でも108まで生きたとしても、109とか110は難しいかなあと、どこかで思いますよね。108、生きるもんか、みたいに思っているかもしれないけど。もう、絶対に生きてやるんだからと思っていますけどね。それでもやっぱり必ず終わりが来るよね。消えていくんですよね。はい。まずこの一番目は、この「見える世界を見える存在として生きていくから」という理由。

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2009年09月17日

●第一番目のポイントは、「寂しくなる」 - HMU 達弥西心

はい、まずですね、へその第一番目のポイントは、「寂しくなる」です。

人はどうして寂しくなるんだろう、と考えてみたことありますか?寂しくなる理由。

いままで寂しくならなかった人はいないですよね、恐らく。なんかわけもなく寂しくなったり、それから、どう考えてもこんなところで寂しくなる場面じゃない、というのに寂しくなったり、全然理由もないのに突然どん、と重たくなって寂しくなったりしますよね。

まあ、私が寂しくなるというのは、振り向けばいつも君はいなかった、の、あの時ですね。寂しくなる。しょっちゅうでしたけどね。やっぱり、このことをまず解明する、ということやっていかなければいけませんね。四つあります。
   
寂しくなった時にまず、この寂しさをどうやって解消すればいいんだろう、という時に、たいていこれだったら片づくんじゃないかなと思って、人と交流することをたいていの人は選びますよね。ああ、一人だから寂しいんだ、と思ってしまうから。誰かがいれば、と。

だけど私、自分の体験ですが、人がたくさんいればいるほど自分の孤独感というのを感じていました、若い頃よくね。たくさんいればいるほど、この人たちとはわかりあえないと思っていましたから、多くなればなるほど孤独感を感じて寂しくなっていましたけど。あれは何だろうと、すごく不思議な感覚でしたけどね。群衆の中の孤独とかなんとか、言ってね。

でも、この寂しさを人と交流することで楽しくさせようとする人は、やがてまた寂しくなりますよね。ずっと一緒にいられないし。だから人と交流することが寂しさを解消する方法ではない、と思う。一時的にはなんとかなるけれども、根本的な解決ではないというのは、なんとなく分かると思いますね。そうすると、どうも問題はそこではないらしい、ということになってくると思います。はい。そうするとですね、この理由、寂しくなる理由が四つあります。

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2009年09月16日

●「へそ」の三つのポイント - HMU 達弥西心

はい、そのへそは三つあります。逆というところではあるんですが。はい。

まず、ですね、一番目のポイントは、へそはですね、「寂しくなる」(人はどうして寂しくなるのだろう)ということです。

今まで一度も寂しくならなかった人はいないですよね。寂しくなるというのは、あれは不思議ですよね。何で寂しいんだろう?と。いろいろと言い訳はつけますが、分からないですね。

そのことがこのことばのよわんよ靴播舛┐燭い海函なぜ人は寂しくなるんでしょう?というね。なんで人間は楽しくてしょうがないんでしょう?というのは問題にならなくて、寂しくなる理由がある、ということ。はい、これが一番目のポイント。

そして、二番目のポイントは、へそは、「明らかになる」というね。ああ、そういうことだったのか、ということを納得することです。納得するためには目に見える世界と目に見えない世界が同時に進行しているわけですから、当然矛盾というものがあって、その矛盾はなぜ起こって、どうすれば矛盾というのが一つに融合されるのか、それを飲み込めるのか、というところです。ああ、そういうことだったのか、ということがわかることが二番目のへそ。

そして三番目が、始まって無くなる、ということ。人生は始まって終わるのではなく、有って無くなるのだということ。これが三番目のポイントですね。

以上、この三つのポイントが、「へそ」です。この本『ことばのよわんよ掘戮里悗修任后

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2009年09月15日

●「へそ」はどこにある - HMU 達弥西心

そうすると、この「へそ」はどこなんだろう?と、たぶん皆さんも予習してきた人は、一応、ここと、ここと、ここじゃないかな、と見てきたかもしれませんし、まったくやってこなかったかもしれませんが、恐らく●●●●●さんとか、あのへんの話じゃないかなあ、とね。

矛盾というものをどうやって克服したかという、一番の人というのは●●●●●という人だと思いますね。人、というか意識体というかね。天のもとにいた人がこうやって闇に下って、闇に引きずり込むという役割をしながら、でも結局は天のもとにまっすぐつながるような人を育てるという、そういう役割をしている。というね、まさに逆の人ですね。

ほんとまったくあの矛盾というか、矛盾をそのまま地でいっているような、そういうところがポイントなんじゃないかなあ、というふうに恐らく思われると思います。はい。

そこまでの理解で間違いないんですけれども、じゃあそうなって行くのはなぜなのか?というところですよね。なぜそういう逆というはたらきが必要になってくるのか?というところが、へそになってきます。

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2009年09月14日

●目に見える世界と目に見えない世界にまたがって生きる - HMU 達弥西心

この靴箸いΔ里蓮⊆尊櫃砲海寮い涼罅△らだを持って生きるこの世の中がありますよね。その中で目に見えないものの大事なもの、というのを追求していくにはどうしたらいいか、という内容です。

気鉢兇蓮¬椶妨えない世界の大事なものだけが前に出てきていまして、この世をからだを持って生きていこうとするといろんな矛盾があるけれども、それはかなり無視した形でやっています。

それで、目指すところというのを最初に提示して、見せて、そしてこの靴如△海寮い涼罎呂海ΔいΔ佞Δ妨世錣譴襪鵑世韻匹覆なかそうはいきませんよね、とか、あるいはまったく逆のこと、矛盾することも多々ありますよね、ということを出しながら、それを克服していくにはどうしたらいいかということで、特に逆、ということをですね、逆のはたらきというか、そのあたりのことが前面に出てきています。

だから、この世を生きていくためには、この目に見えない世界だけを追いかけていても中々うまくいかない、ということを認めた上で、ではそれをやっていくにはどうしたらいいか、ということですね。だから目に見える世界と目に見えない世界にまたがって生きるにはどうしたらいいか、という内容になっています。

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2009年09月13日

●『ことばのよわんよ掘戮枠展形 - HMU 達弥西心

それで、これはこれで、要するにことばの前後がないというのは、ちょっと分かりにくいところがあるんですが、ピックアップしたその言葉だけをずっと読んでいくと、あっ、そういうことなんだ、とヒラメク。説明がないことがかえって深く考えるというか、捉えるチャンスになってくるんじゃないかな、というふうに思っております。この気鉢兇鬚海里茲Δ砲靴討泙箸瓩泙靴拭

そして靴箸いΔ里ですね、皆さんもご存知だと思うんですけど、気鉢兇箸いΔ里呂匹舛蕕というと教義というか、何にも分からないところで、要するにどちらの方向に向いていくか分からないような時に、こっちだよ、ということを書いたのが気鉢兇世隼廚い泙后F辰豊気諒は教義が中心になっていますね。それで気鉢兇箸いΔ里魎靄楫舛世箸垢襪函△海劉靴箸いΔ里蓮△海譴鯏験するというか、発展形というか、変化形ということだと思います。

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2009年09月12日

●『達弥西心338のことば』という本- HMU 達弥西心

『ことばのよわんよ掘戮箸いΔ里鮟佝任靴泙靴董△呂ぁF瓜に『達弥西心338のことば』というのを出しました。それでこの『338のことば』というのは、ことばのよわんよ気鉢兇涼罎梁膸な部分というか、これだけは残しておかなきゃいけないという部分を、前後を全部切り捨てて、要するに説明とかは全部切り捨てて、大事なポイントだけを全部拾い出したという本。338にしたかったんですけど、実は!というほどのものでもありませんが339あるんですね。これ違っていますよ、とよく言われます。うん、わかった上で338にしているんですけどね。339あります。番号も339までふってあります。

ほんとは一日一つで365にしたかったんですけど、メッセージで拾い出すとそんなになかったということです。ないものはしょうがない、ということで338のことばなったんです。え?339あるのにどうしてタイトルは338のことばなのか、ですか? うん、ゴロがいいから、です。

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2009年09月11日

●自分自身がどうしたいのか - HMU 達弥西心

それが初期の頃だと、もっと自分の都合の通りに答えてくれないと困る、ここにいてくれないと困るんだよね、今から自分はちょっと他の用事やりたいんだけどいいかいな?という形になっているから、「自分との会話」というのは成り立たないんだと思う。だから本当にまず聞くことは、自分自身がどうしたいのか、どういうふうに思っているのかを聞くことが先、のような…気がするのです。

今朝フッと、長年の自分の疑問というのがフッと解けた気がしたんですね。

あの歌を書きながら思ったことは、その時は自分を主体に物を考えていましたけど、ああ、そうだよね。これはまったく同じことを自分自身に対して、天にしているよね、と。向こうが、さあ話すぞ、と言った時に全然そう思っていないわけだから。会話が成立しないうちに話が終わってしまう、というかね。こういうことを思ったんですね。はい。

以上は前置きです。はい、ではいよいよ本題に入ります。

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2009年09月10日

●天の身になって「自分との会話」をする - HMU 達弥西心

天はやっぱり、ねえねえ、とか、自分自身もねえねえ、と話したい時があるんだと。その時にスッと受けられないというのはしょっちゅう自分自身のこととか天のことを思っていない、考えていないんではないかなあ、と思うんです。だからよく最近ね、自分自身の身になってとか、天の身になって「自分との会話」をする、と言いますよね。やっぱりそこだろうと思うんです。それができるようになってくると、「自分との会話」が深まっていくんじゃないかなと思うんです。まず相手の念い、天の念い、自分自身の念いを先に聞いてあげないと、「自分との会話」というのは進まないんじゃないかな。

とっても白けるんですよね。例えばね、スタッフが何々と聞いてくるじゃない。例えば「ずっとここにいらっしゃいますか?」とか言うから、「うん、いるよ」と答えます。「じゃあ何か話をするのかな」と思ってたら、「いるんだったら、私ちょっと他の用事をやってきます」ということ、なんだよね。しょっちゅうあるんですよ。「ああそうですか、ここにいるんだったら、じゃあその間私ちょっと他のことやってきますから」と。「ああ、そうなんだ…」みたいなね。それはもう会話にならないね。質問されるから、答えるとさらにこう拡がっていく、深まっていくと思っているこっちはおおいに期待しているんだけど、「ああ、なんだ。そうなんだ」ということが、よくあるんですね。あんな感じを多分ね、自分自身とか天は思っているんじゃないかなと思って。その時は「自分との会話」が進んでいかないんじゃないか、と。聞くのは聞いたけど、とね。

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