2009年06月14日

●どうして悲しいのかな - HMU 達弥西心

そもそも、強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心はなぜ起こるのだろう。いつから潜んでいたのだろう。人間ってそういうものよ、で片付けていいのかな。
強欲の心、怒りの心、愚痴を言う心は、私たち人間がモノとして生まれてきた悲しみから出発している。モノ? そう、目に見えるモノ(存在)として出現したことに由来する。
喜びを持つことは悲しみも持つことになる。目に見える存在として現われることができた喜びは、目に見える存在として生きていく悲しみでもあるのだ。
矛盾している。そう、矛盾こそが存在の正体なのだ。矛盾ごと丸呑みするしかない。
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心はなぜ起こる、いつから潜んでいたという問題。
なんてことはない、この世に現われたとき、すでに持っていた。正確にいうと、この世に現れたから、持ってしまった。モノとして現われたから、モノが持つ悲しみを持ってしまったのだ
達弥西心


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2009年06月13日

●そういうふうにつくられているのかな - HMU 達弥西心

強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心をもつ人間は、そういうふうにつくられているのかな。
そうであっても、そうでなくても、喜んで生きていきたいはずの人間は、三つの毒を持っている人間は、悲しいと、私は思う。
この三つの毒から脱する方法として釈尊は、戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の実践を教えている。戒、すなわち、ものごとの道理をよくわきまえ、定、すなわち、こころを穏やかに保ち、慧、すなわち、悪事を離れ善事を行うこと、という。できるのかな。一般社会の日常生活の中で、できるのかな。やらないといけないよね。苦行だね。悲しいねぇ。
達弥西心


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2009年06月12日

●三つの毒と百八つの煩悩 - HMU 達弥西心

人間は三つの毒を持っている。その毒によって百八つの煩悩が生まれ、人間は誰しもその煩悩に苛まれている。と、説いたのは釈尊だった。
三つの毒とは、強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心、という。
なぜ人間は三つの毒を持っているのだろう。素朴な疑問が湧いてくる。
はい。悲しいからです。存在することが悲しいからです。
そんなことでいいのですか?生きることは喜びのはずです!とお叱りを受けるかもしれない。
よーく考えてみよう。人間は、生きているだけで、どうして強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心が湧いてくるのか、と考えてみよう。不思議だろう?
強欲な心、怒りの心、愚痴を言う心は、喜びかな。悲しみだよね。
達弥西心


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2009年06月11日

●こだわり - HMU 達弥西心

なぜ私が「生きていく悲しみ」にこだわるのか。
存在には時間が与えられるからにほかならない。存在は、存在することが悲しみなの
だ。
そう、生きていることは悲しみなのだ。喜びと思いたいが、悲しみなのだ。
だけど、喜んでいかなければならないのだ。
悲しみを喜びで乗り越える?矛盾する。そう、矛盾こそが存在の正体なのだ。矛盾と
は煩悩のことである。
などと、ややこしいことはよして・・・。
達弥西心


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2009年06月10日

●この悲しみは - HMU 達弥西心

もし、あなたの悲しみと私の悲しみがすれ違って、もっと悲しくなっても、100年経って、あなたがいなくなって、私もいなくなったなら・・・。
だから、やさしくなろう。だから、泣くのはよそう。
誰かが「人間は一人のほうがいい、失うものがないから。」と唄っていたけれど、私は、悲しくてもすれ違っても二人の方がいい。やさしくなれるから。
達弥西心


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2009年06月09日

●あなたはいない。私もいない。 - HMU 達弥西心

100年経ったら、あなたはいない。私もいない。
生きていくうえでいちばん確かなことを探していたら、こんなことに行き着く。
どうやら人生はそんなことになっているらしい。
だとすると、どう生きる。
100年経ったら、あなたはいない、私もいない。
達弥西心

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2009年06月08日

準備中です

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