2009年08月12日

●ゼロになれない人たち - HMU 達弥西心

(続き)まあ、ゼロになれない人たち、っていうね、元に戻れない人たち、っていうのは、やっぱり今、リーダーをやめることができない、今まで作り上げたものを仕舞うことができない、目に留まるものをなくすことができない人たち、っていうことになってきますよね。

どこかに、自分の人生を振り返ってみた時に、これにこだわってしまう自分がいる、っていうのは、ゼロになれない人たち。アメリカなんかはそれが象徴的だと思いますね。だから、リーダーだけがそうじゃなくって、トップの人たちだけじゃなくって、そこに働いているアメリカ人っていうのは、そういう感覚っていうのを強く持っていると思いますね。なかなか、そこが難しいところではないかなあ、という気がします。(続く)

達弥西心


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2009年08月11日

●仕舞わないと始まらないこと三つ - HMU 達弥西心

(続き)そういう意味でまずですね、『仕舞わないと始まらない』っていう考え方。『仕舞わないと始まらない』。そこに3つあってですね、『仕舞わないと始まらない』、っていうね。

一番目は『リーダーをやめる』っていうね。リーダーっていうのは、ないことにはできないから、ひとり歩きする人の上に立つから、1の上、2か3くらいでなければ、リーダーっていうのは務まらないですね。アメリカはやっぱりまずね、「強いアメリカの再生だ」って、「リーダーをもう一度やるんだ」って言っていますけど、「リーダーを一度辞める」っていうかね、「世界のリーダーを譲ります」ということをやっていかないと、アメリカの再生はないんじゃないかな、っていう気がしますよね。ということ。

それから二番目。『今まで作り上げたもの、目に見えるモノを仕舞う』っていうことね。今まで作り上げたものはすべて、象徴ですからね。象徴ですよね。「これは今までがんばってきた分の象徴」って。それを一度仕舞うこと。ゼロになるためにはね。

それから三番目、『スポットライトを浴びて目に留まるものをなくす』。スポットライトを浴びて目に留まっているもの。ね。ポッとこう、なくす。とっても、その、自分が今まで「こっち側の部分だ」って、こっちを自慢としてずっと生きていたんですが、「これでうまくなっていない」って言ったら、とってもダサいものに一度、目を向けなきゃいけない、っていうことね。ダサいものに目を向ける時、っていうのは、かっこいいものを一度捨てないといけないんですね。はい。そういうことが大事なことではないかな、というふうに思います。(続く)

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2009年08月10日

●「ゼロ」に一度戻る - HMU 達弥西心

(続き)そういう意味では、『0ぽっちのすすめ』っていうのは、みんながゼロに一回なる、っていうね、そういうことをしないと、無理なんではないかな、と思いますね。はい。もし、この今、時流の中で、もちろん、「ちょっと耐えていきましょう」っていう時流ではあるんですけど、「自分がたしかに、アメリカ的なものを持っていた」っていう人は、一回0ぽっちになる、というね、ことが大事なんではないかな。今までの考え方を一回ごそっと変えなきゃいけない時流ではないかな、というふうに思いますね。

で、『元に戻る』っていうことですね。『元に戻る』ということの意味。元、っていうのはゼロですね。肉体は当然、元に戻りますね。生まれて必ず死んでいきます。魂は、元いたところに戻りますよね。うえから来たわけですから。「すべて宇宙はくるっと回っている」と言いながら、必ず、ゼロに一度戻っている、っていう。

この世からすると、ゼロから始まって、1、2、3、4、5…0、って戻っているわけですね。肉体はこうやってゼロから始まってゼロに戻るわけですね。やっぱりこの、『ゼロに戻る』っていう考え、『元に戻る』っていうことをね、一度しっかりと意識して、それから1がある、っていうね。ゼロの次に1がある、っていう。「ひとり歩き、っていうのは、ゼロの次なんだ」っていうこと。(続く)

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2009年08月09日

●オバマさん、がんばれ - HMU 達弥西心

(続き)まずね、お金、っていうものをどう捉えるかというとね、お金、っていうのは道具、っていう、その、最たる道具、って、私はアメリカ人ってそう思っていると思いますけど、うん、あの、いわゆるこう、なんていうかな、現金を持つ、というよりも、「信用ですべてを動かす」というね、「カードで動かす」というかっこうの世界。それをね、今から、その、働けなくなるとそれが払えなくなる、っていうのは当然ありますよね。払えなくなってくると、「それをどうするか」って。ところが、「貯金を持っていた」とかって、「それを崩してでも」っていうのが、日本人の発想はそこにありますけど、それがないから、「どうにもなりません」っていうことですね。「公的資金で埋めてもらわないとしょうがない」っていう感じになりますよね。じゃあそれをやって、全部オバマさん、っていう人は、あれを「全部やめよう」って考えているから、「これ、できるのかな?」って思っちゃうんですね。

だから、オバマさんの感覚からすると、自分たちの感覚から言うと、そういうことっていうのは、「できないことはない」って思っているんだと思いますけど。オバマさんがたいそう怒っていましたね。「ボーナス、こんな時世にボーナスたくさん取っていた」って、言っていたけれども、でも、取ると思うんですね、アメリカ人は。要するに、「成功した人はお金をたくさんもらって当然だ」と思っていますし、そのためにがんばっているんだもの。ね。

だから、アメリカンドリームっていうのは何か、って、あれはアメリカンドリーム、って、言葉で言うと、とにかくお金が法外に、法外って言っちゃいけないけど、お金がたくさん、思った以上に手に入るチャンスが誰でもある、っていうことがポイントだよね。それはお金ですよね。それを「やめよう」って言っているんだからね。それは、「経営者が大手の会社に公的資金をつぎ込むんであれば、その経営者たちは報酬を返しなさい」ってやっているけど、そこは良かったんだけど、全然別個のところで「ボーナスもらっていたんだ」って、たいそう怒って、「恥を知ってください」って言っているけど、でもそれやっちゃうと、「アメリカ人、働くかなあ?」っていう気が、私はちょっとするんですね。

あの、なんていうかな、クライスラーだったかな、自動車会社の、あそこだって、従業員がなかなか、従業員が高給なんですね。高給取りなんですよ。従業員が。で、なかなかあそこが、今まで経営難に陥ったのが、結局作る車よりコストが高くなるの。コストが高くなるのはなぜか、って言うと、給料が高いからなんですよ。あそこは特に。それをね、じゃあ半分にして、そして車を作り続けるか、って言うと、いかないね。それは、「別に車作ってなくて、車会社にいなくてもいいや」って思うはずだよね。

それを全部やって、まあ、「みんなががんばっているんだから」って、みんな給料をこうしてね、特に経営者、アメリカンドリームの実現で経営者になったような人たちが、全部払って、全部出していって、みんなと同じくらいの給料でがんばるか、っていうのは、全然考えられない。でも、それをオバマさんはやろうとしているんだよね。これ私、「いくかな?」って思いますね。そうしたら、やるとしたら優しいアメリカ人、優しいアメリカン。柔らかいアメリカン。ほんとあの、日本人のような感覚でね、「みんながんばる」っていうような感じの、そういう形になっていけば、うん、「再生可能かな」って思いますね。

そういう意味で私が思うのは、東南アジアとか日本、っていう、そういう「みんなでがんばる」っていうね、農耕民族というか、そういう感じの方が、「みんなが夢を実現するためには、今、ちょっとみんな辛抱しようよ」っていう感じで、声を掛けられやすいんじゃないかなと思いますね。

大変な時に、私はオバマさんが。だからオバマさんだったんだろうと思うし、「はたして、いけるかなあ」っていうふうに。「ここで怒っちゃった」っていうのを見てね、私は、それはイラついたと思うんだけれども、そう、自分の、一国の大統領がこうやって言った、「この大事な時にそんなことしてんのか」ってびっくりしたんだと思うけど、「まあそんなもんですよねえ」と思うんですね。ということですね。(続く)

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2009年08月08日

●続きができない - HMU 達弥西心

(続き)まあ、その辺の一番いい例というのがアメリカだと思うんですね。オバマさんが大統領になって、「新しい大統領」って言うけど、今までないことで、ね、アメリカという国で黒人が大統領になった、っていうこともあるし。

で、決してそのアメリカという国がですね、その黒人の差別がなくなった、っていうわけじゃない中で、黒人にね、あの、国の政治というか、トップを任せた、っていうところ、あれはやっぱりゼロにならないと始まらない、という選択。あるいは、アメリカという国が、いままでこうやって突っ走ってきたけれども、全部一回捨てて、新しいアメリカになっていく、というね。

まあ、みなさんあんまり興味がない、って言っても、いろんな評論を聞いていると「アメリカっていうのは、これ、大変ですよ」って、みんな評論家は言う。でも、「大変ですよ」っていうのは、続きができないんだと思うんですね。「続きができない」っていうことを意味しているんだと思うんです。今までやってきたやり方の続きで、『変革』ってオバマさんは言っているけど、『変革』どころじゃなくって、『ゼロ』。それから時々『再生』って言うね。『再生』どころじゃなくて、『創生』だよね。まったく新しくゼロから出発するという形をしなければアメリカは変われない、っていうことだと思うんですね。私へのメッセージではそういうふうに来ているんですね。

それを、『元に戻る』っていうこと、「もともとどうだったか」っていうと、何もないところ、って、アメリカっていうのに、人が住んで、まあもちろんインディアンとかっていう人たちは、原住民はいたんですけど、そこに入ってきて、アメリカをつくっていった。で、「あの時の状態に戻れ」っていうことだと思うんですね。まったくない状態。「まったく、っていうことは、今までのやり方を全部捨てる、っていうことになりますよね」ということだね。

だから、それを、シナリオを今回持ってきた、今年に持ってきた、っていうことは、日本もある意味で、今までのやり方、「これでいいのかいな?」っていう形になってくると思います。だからなかなかリーダーが決まらない、っていうか、モヤモヤモヤモヤするのは何か、っていうと、やっぱり、どう持っていっていいかわからない。たいてい考える時は人間っていうのは過去のこと、今までやってきたことの延長の中にやっぱり、「少し変えていこうかな」っていう感じで思うとおもいますね。ところが、この、今回のこの時流、っていうのは、もうほんとに『一回リセット』っていう感じだと思いますね。特にアメリカを考えてみるとね。

うーん、私はすごく日本の、あるいは東南アジア、っていう国というのが、世界の中心になっていくんじゃないかなあ、という気がするんですね。それは何か、って言うと、その、とにかくあの、今年は言っているように、『柔らかい生活』っていうね、「人に柔らかくなろう、自分も柔らかくなっていこう」っていうね。「とんがっている」とか、「厳しい」とかね、「自分に反対する人は許さん」とか、いうような力で、パワーで押しまくる、っていうアメリカのやり方、っていうのがあって。アメリカのやり方、って、一部の政治家がやっているんだ、ってみんな思っちゃっているんですけど、アメリカ全部がそういう感覚になっているはずなんですね。その結果が、今までの差別っていうものを生んだと思いますし。ね、力の関係、って、強い方が弱い方を虐げる、っていう構造が出来上がっている。その下の、虐げられていた方が、ここに上がった、っていうこと、これは要するにその、今までの続きでも何でもないんですよね。もうまったく新しいことだと思うんですね。『元に戻る』っていうことを考えていくと、うん。(続く)

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2009年08月07日

●「元に戻る」とは「ゼロ」を意識すること - HMU 達弥西心

(続き)それはね、えー、いつでしたかね。えーっと、著書解説講座で話して。『元に戻る』というところで、1995年の、第2章だったと思いますね。そこで話したはなしで、必ず数をかぞえる時にゼロ、っていうのをね、あの、「声には出さないけれど、ゼロっていうのを必ず意識しているんだよね」っていう話をしましたね。

1、2、3、4、5、1、2、3、4、5、って数えたとしても、5の次に1になる時に、瞬間的にゼロ、って言うんだよね。1、2、3、4、5、0、1、2、3、4、5、0、1、2、3、4、5、…。って。一回ゼロに戻らないと1から始められない、っていうね。

で、例えば、1、2、3、4、5、4、3、2、1、1、2、3、4、5…、ってかぞえたとしても、2、1、1、2、っていう間に、2、1、0、1、2、…、っていうふうにこう、0、っていうのを間に挟んでいるよね、っていう話。

だから元に戻る、っていうのは宇宙の法則のとても大事なところで、こう、いつまでも回り続ける、って言うけど、そのゼロの位置に一回戻る、っていうことが必ずある、って。じゃあ、「ずっと数をかぞえ続けたらどうなのか?」ってなると、1、2、3、4、5、6、7、8、9。9の次は1じゃないよね。10、って言いますね。10は満タンではなく0なんだよね。0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、っていうけど、1、2、3、4…10、で、1、2、3、4…。ですね。ゼロがついていますね。あれね。

ゼロ、っていう、まあ、昔のインド人が考え出した、っていうんですけどね、ゼロの概念、っていうのは。だけど、考えついた、っていうのは、発見した、っていうことは、宇宙には既にゼロっていう概念があって、それを表記すると、0っていうことになる、ということだと思います。その、ゼロになる、っていうことをですね、今、今年は、始める、っていう前に、『一回ゼロになって始める』ということだと思いますね。

よく、『仕舞って始める』ということを言いますよね。宇宙気学の中で。あれは何なのか、っていうと、「とにかく根こそぎゼロにしないと、無にならないと、1は始まらないよね」ということを言っているわけですよね。(続く)

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2009年08月06日

●「0ぽっち」ってなに? - HMU 達弥西心

(続き)はい、えー、今日はこんな話の続きで、なんかだんだん重たくなるかな、と思いますが。

あのね、えー、『ひとり歩き』って私はずっと言っていますね。ひとり歩き。で、ひとり歩き、って言って。ひとり歩き、ってことは、ひとりぼっち、っていうことですね。それがもうみんなイメージが嫌でね、「ひとり歩きしたくない」とかね、「あの人と一緒がいい」みたいな感じになってくるんですけど、私はその、精神的なひとり歩き、これをして行きたい、と。

特に今年はですね、えーっと、『自分では決めない人とは付き合いをほどほどにした方いい』っていうね、ということでなかなかひとり歩きができない人は付き合ってもらえる人もHMU会員の中には少なくなってくる、と見た方がいいね、今年の時流から言うと。「ねえ、ねえ、ねえ、どうしよう、どうしよう、どうしよう」ってね。「自分で決めたら?」っていう形の答えが返ってくる、と、予測した方がいいですね。もう私、言ってまわっていますから。はい。そういうことですね。

そうすると、ひとり歩きは、すなわち、ひとりぼっち、ってね、いうことになっていくと。でも、天意はね、何を思っているかというと、ひとり歩きを求めているけれどもね、ひとりぼっちを求めているわけではなくて、もっと厳しいことではないかな、と思うんですね。「一人より厳しい、って何か?」っていうと、厳しい、というか、うん。「ほんとはね、ひとり歩きどころじゃないんだよね」って言っているんだと思います。

それがね、『0ぽっち』。0ぽっち。誰もいない、って。『無ぽっち』。『無』って言うわけ。「何がいいかな?」って考えた時に、「ひとりぼっちじゃない」って言ったら、「ひとりではない」って言ったら、「誰もいない」って、「自分がいない」っていうこと。「無の存在」っていうかね。うん、だから、『0ぽっち』。『0ぽっち』っていうのが一番いい感じがする。これで、『0ぽっちのすすめ』っていうのをちょっと考えてみたんですけどね。どうも天は人間に「0ぽっち」をすすめているんじゃないかな、と思うんだよね。(続く)

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2009年08月05日

●天のために働きます - HMU 達弥西心

「じゃあこの経済学者ケインズは、一体何をここで言いたかったのかな?」と思うんですね。こうやって『人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる』っていうことを言っているということは、「自分はこうだと思うけど」っていうのがあるはずなんですよね。それは書いていないんですね。ぼやかすことによって、その自分のこう、いろんな人との意見を全部こう掌握できる、っていうかね。そういう手法だと思うんですけど、「この人がどう思っていたのかなあ?この経済学者がどう思っていたのかなあ?」っていうのを、「ちょっと、興味があるな」と思いながら。『人生の目的は何ですか?』っていうね。

この、最初の『生きるために働く必要』っていうところを考えるとね、どちらが違うか、っていうと、『生きるために働く』。だから、『働くことをしない』っていうことはないはずで、『何々のために』っていう、『何々のために』っていうことが『生きるために』じゃないとしたら何のためか?っていう、そこの言葉を空欄にして埋める、ということをやっていけば、ですね、答えは見つかると思いますね。

だから、『働く』っていう方が問題ではない。『ために』ってある以上、目的が『ために』ですからね、『生きるために』っていうところが違うとしたら、何を入れ替えたらいいか、っていうことを考えた時に、『生きることより、もっと大事なこと』っていうことだね。

「何?」っていうことになってくるんですけど、なんか私は26の時にそういうことを言った、っていうのがずーっといまだにこう、覚えているんですよね。ほんと、瞬間的な、ほんとに10分か15分くらいの会議の場面なんですけど、覚えているし、その時に私が何を発言し、その時のシラッとした、このイメージ、イメージっていうか、人の姿。それと社長の一言。「この社長、こんなこと言うのかなあ。私がいのちを懸けようって思っているこの人って、こんなこと言うのかなあ」って思ったんですね。そういうことを思いながら。

ということは、この『生きるために』っていうところが何か違うもの、それを探るための人生だったと思うし、今こうやってみて、はっきりと『天のため』っていうのが私の中でははっきり言えるんですけど、そこに辿り着かせるためにこの、そのボタンの一つじゃなかったかな、っていうふうに思いますね。

だからあの、人生に、場面、場面で絶対に忘れられない場面、っていうのを用意されます。で、その時はとってもダサい経験ですよね。私がやっているのは、他の支店長から無視された、シラッとした、社長からそういうふうに言われた、私の人生にとってはとってもダサい、かっこう悪いシーンなんですね。

でもそれをね、ずっといつまでも覚えている、っていうことは、なんかそれが次の、どこかでその結果というか、「わかった」っていうところにつながった時に、「あっ、これだったんだな」って。「これから始まっていたんだな」っていうことが分かるような気がするんですね。

そんなことを思いながらね、『人生の目的は何か』って、みなさんはね、『生きるために働くだけではない』っていうのはケインズも言っていますから、みなさんもそうだと思いますね。「生きるためだけに働くんだ、生きるために働くのではなくなった時に、必要がなくなった時に、どうするか?」っていう。

よくね、定年迎えた時にね、私はよくあの、会社人間、っていうのは自分の中ではよくわからないんですけど、とてもあの、福利厚生制度が充実しているある会社が地元にあって、そこね、勤めていた人の話なんですけどね、奥さんの話ですよ。

で、「主人が今日で定年を迎えた」って。それで、その前の日に帰ってきて、奥さんが「もう明日から行かなくていいんだよね」って言ったら、「ああそうだね。のんびりするよ」って言ったんだけど、次の朝、思わず会社に行こうとするんだってね。カバン持って。

で、やっぱり、『行く』っていうこと、『行く目的』がある、目的地があること、出かける、っていう目的地。どこどこに行くということが、やっぱりあって、やっぱり『生きる』ということをね、繰り返していたわけですね。「行くところがない」って言ったら、もうすごく、がっくりする、ということですね。

だから常に向かうところ、っていうか、目指すところ、っていうのは、常に用意しておかなくちゃいけない。それがね、いつでも行けるところだとね、いつでも辿り着けるところだとね、そこに行ってしまったり、「ああ、来なくていいよ」って言われると、もうなくなるんだよね。

だから会社だから、定年を迎えると「来なくていい」ってことになるわけだから、「来なくていい」ってなると、行き場がないんだけど、やっぱり行くところはそこしかないから、行こうとするんですよね。うん。

「家にいていいよ。のんびりできるよ」と思ったんだけど、それこそ生きるために働く必要がなくなった時、っていうね。会社に行くことがなくなった時に、その人はどうするか、っていう。何にもできない。だからそこに、人は人生の目的を真剣に考えなければならない。「何のために生きているの?行くところはもうなくなったんだけれど、まだ生きている、っていうことは何か他にあるよね」っていうね。

「行き着く場所がどこなのか?」っていうとですね、辿り着くところじゃないところに設定していると、永遠の課題として行ける、っていうこと。うん。「行きたいところだけど、絶対に行けない」っていうくらい遠いところ、高いところ。『天のはたらきのために』。「会社に今日も働きに行きます」みたいなね、「天のために働きます」という、そういう形があると、うーん、いそいそと出て行けるよね。そういうふうに思いますね。なんかそんなことではないかな、というふうに思います。

ま、ケインズさんはどういうふうに思ったのか、分かりませんけど。多分そのくらいは考えていたんじゃないかな。「『経済学では紐解けない人間の不思議さ、っていうかがあるんではないか』っていうふうに思っていたんじゃないかなあ、って思いました」という話なんですね。(続く)

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2009年08月04日

●なぜあんな質問をしたんだろう? - HMU 達弥西心

(続き)まあそれで、結果として、その会社が倒産する半年前にその会社を辞めることに(正確にいうと私が辞めた半年後に倒産したということ)、自分で辞表を出して辞めることになるんですけど、まあ、あの、でも一年間いましたね。その支店長会議。そんなに無視される支店長会議に一年間出席し続けましたけど、針のむしろ、っていうか、まあそれでいろいろ人間というものがいろいろ見えて来た。まあそれはそれで非常に参考になったと思うんですけど。

じゃあ、私あの時にね、「なぜあんな質問したのかな?」って思ったのと、「人はじゃあ何のために働くんだろう?」って。私が「辞めよう」って思ったのは、「この社長のために働けないな」と思った時に「辞めよう」と思ったんですね。「できないなあ、これ以上はできないなあ」と思ったんですね。で、うん、それまではそういうふうに思ってやってきたんだけど、「はたらくというのは、この世の人のためかなあ?」って思いはじめて、だんだん・・・。でも一年間いましたね、針のむしろ状態のまま。(続く)

達弥西心

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2009年08月03日

●人はなぜ働くのか - HMU 達弥西心

(続き)支店長会議は、たいてい決まって社長がワンマンでしゃべっていたんですが、私はそんな会議が結構好きだったんです、社長の一方的な話を聞くのが。人の話はどんなに長くてもいつまでも聞けますね。そして社長が話すことをずーっと全部メモするのが好きだったね。ノートを取るのが好きだった、というよりも、聞くだけだと覚えられないものだから、全部ノートに書きなぐるようにして書いていたんですね。それをまた社長は勘違いしてね、「俺の話を全部聞いてくれている」って思って。「いやそうじゃなくって、次に伝えないといけないから、忘れちゃいけないから」っていうんで私は一生懸命書いただけで、他の支店長はこうやって腕組みしたり目をつむったり、みんなメモもとらずに聞いているから、ほかの支店長はちゃんと聞いていない、って思ったんでしょうね。メモしてないから聞いていない、みたいに思ったんですね。で、懸命にメモを取る一番若い私にすごく目をかけてくれたということだったと思います。

で、ある時、「俺だけがしゃべってもなんだから、支店長にバトンタッチしてね、それぞれがテーマを持ってなんか考えてみよう」と社長が言いだして、支店長それぞれがリーダーになって会議を進めていくことになったんです。社長のワンマン会議から突然ある種民主的な会議になったんです。3番目が私の番だったんだよね。で、前の担当の支店長は、どこかから、なんか知らないけど、管理者養成とかいう本を引っ張り出して、「ストーブにあたってサボっていたところに社長が来た、その時どういう態度をするのがいいか?どんな態度をする者が信頼できるか」のような、そういう内容のものを題にして、みんなで議論したりしていたんですね。それはそれなりにみんな楽しかったのかもしれない。

で、私の番になった時に、私は「どうしようかな?」って思ったものの、私が一番今関心を持っていることは、『人は何のために働くか』っていうことだったので、自分の中で興味があったそのことをテーマにしようと思ったわけです。

私自身はその時は「社長のために働く」と思っていたんですね。理由はいたって単純で、「会社は社長が動かしているから、私は社長のために働く」って思ったんだけど、「他の支店長はどう思っているんだろうな」と思ったんで、「『人はなぜ働く』というテーマで話をしたい」と切り出したんですね。さああここからが本題です。

で、私が前に出てしゃべり出したら、会議室がシーンとなったんですね。それは私に対するちょっと嫌がらせもあったと思う。他の支店長の。「こいつ、若いくせに」って。出席者の中で一番若かったからですね、「若いくせにこんな厄介なテーマ出しやがって」みたいな感じに思ったんでしょうね。それで、全員からアカラサマに無視された。私がいくら話しかけても、誰も返事しない、反応しない、ということをされたんです。私が、嫉妬というエネルギーを、人間関係においてもっとも重要視するようになった原点がここにあるかもしれませんね。男の嫉妬はすさまじいです。

「『人はなぜ働くのか』っていうことについて考えてみたい」っていう話をした。だれも反応しない。シーンと静まり返った。で、うーん、その時に、その雰囲気に社長がやっぱり一番困ったんでしょうね。あまりにも誰もしゃべらないから。

で、社長が、私に、フッとこう向いて、「それはおまえ、決まっとるやないか」と言ったんです。で、私が「あ、何でしょうか?」と言ったら、「・・・そりゃあ、銭このためだよ」って言ってね。要するに、「お金のためだよ」って。「みんなそうだよな」って言って、みんな頷いた。で、「こんなの出してもなあ」と言われて、まあ、ほんとにあっさりと終わってしまった、打ち切られてしまったんですね。

で、私にとっては、「人はいろいろ念いがあって働いているだろう」って、でも私は、「お金のためではない」って。「少なくとも私はそうじゃない」って、強烈に思ったんですね。当時全国売上ランキング8位くらいのこの会社が、その社長が「日本一になる」って言っていましたから、「日本一になるために、社長のこの、男のロマンを実現するために、私はがんばっているけどね」っていうようなことを思っていたんです。「同志」と目される支店長たちにいろいろと聞いてみたかったんですね。

で、それをあっさり却下されて、「えーっ、みんな、銭このためにがんばってんのか」と思った時に、なんかその会社が、すごく色褪せた感じがした。そのことがきっかけで、私は社長から見放されるわけです。会議での発言も求められなくなるのです。

なぜ社長は私を見放したか。怖くなった?本気の私が怖くなった?いろんな意味でそうだったかもしれない。(続く)

達弥西心


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