2009年10月04日

●有って無くなる四番目、「本体が無くなるものだから、モノや念いを残してはいけない」 - HMU 達弥西心

そして四番目。「本体が無くなるものだから、モノや念いを残してはいけない」ということだね、残してはいけない。この世にね、残してはいけない。自分自身はもう霊界に帰るだけですからね。

その自分自身がこうやって、うえから派遣されてこの中に入る、そしていろんなことがあって乗り越える、そしてからだがなくなって、抜けて、霊界に帰る、という、このメカニズムというかね。これをその、自分自身の目で、自分自身の目で見る。自分自身の気持ちになって見ていくということが、大事なんです。そうすると、「自分との会話」が、よく分かる。

自分自身は常に天の言った通りにしたいと思っていますからね。それは天から派遣されたわけですから、ここで勝手にからだが求める方に、そうだそうだ、と言うことはしないからですね。やっぱり大事なことは、自分自身の念い、天の念いをちゃんとキャッチして、その通りに動かすということを自分自身は願っている、ということですね。

だから、この世を去っていくと、もうこの世にはいないわけですから、自分自身はもう元に戻るわけですから、この世には跡形もなく無くなっていい。いいし、跡形もなくなっていくことを、望んでいるわけです。

ではその、後継とか何とかという問題もありますよね。後を継ぐという問題。だからその時は、念い一つだけを残して、後は何もかも消滅するのが自然である、というふうに考えることだね。

引き継ぐのは、「引き継げよ」と言うんじゃなくて、引き継ぐ方が「引き継ぎます」というふうに言わないと、これでは念いというのは引き継いでいかないよね。これを引き継いでくれとか、引き継げ、という理由はないよね。自分は自分なりに生きているわけですから、後の人たちはまた後の人たちの生き方があるわけだから。ということだね。引き継がれなくてそのまま消滅して無くなること、それもまたいいじゃないか、と言っているよね。

達弥西心

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2009年10月03日

●有って無くなる三番目、「人生は始まってしまうと必ず最後には無くなる」 - HMU 達弥西心

そうすると三番目に、「人生は始まってしまうと必ず最後には無くなるんだ」ということ。この無くなるということを、しっかりと、あっさりとわかれ、ということを言っていますね。あっさりとわかれ、と。

達弥西心

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2009年10月02日

●有って無くなる二番目、「人生は始まってしまうと、滅多に終わるのではない」 - HMU 達弥西心

そして二番目。「人生は始まってしまうと、滅多に終わるのではない」ということだね。終わってしまうんではない、ね。人間、そんなに簡単に死ぬものではないという意味です。あの葬儀社のテレビCM「♪なかなかいかない天国社〜」みたいに、なかなか天国社にはいかない=そう簡単に死ぬものではない、ということ。なかなか終わることはないし、滅多に終わることはない、ということ。

達弥西心

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2009年10月01日

●有って無くなる一番目、「人生というものはなかなか始まらないものだ」 - HMU 達弥西心

一番目。まずね、「人生というものはなかなか始まらないものだ」、ということ。

無くなるって言いながらですね、なかなか始まらない。滅多に始まらない。だから人間はからだを持って生まれてきたこと、そのからだの中に自分自身をもらったことというのは、とっても有り難いんだよね。なかなかない。自分たちが今こうなっているから、そんなの当たり前よ、みたいに思ってしまうだけど、ない。

だから、なんで自分は生まれてきたんだろう、産んでくれと頼んだわけでもないしと思うと、これはね、一番天から言うと、悲しいことであるし、じゃあいいよと、引き上げるという形になっていきます。ということですね。だから、まず有り難いと思うこと。生まれて来ていることを有り難いと思うこと、です。

それから、いろんなことが起こってもですね、ああこれは自分のはたらきが高度になっていくためどうしてもくぐり抜けなきゃならないところだな、というふうに思うこと。もし、全然試練とかがなくて、困ったことが起こらなかったら、自分の能力とかをこれ以上引き出す必要がないわけですから。やっぱり自分が成長する時っていうのは、いろいろな問題を乗り越えた時だよね。困ったなあ、と思ったことをやった時に、今までやったことないぞ、という時に困るんですけど、困ったことを乗り越えた時にね、自分の能力というのは引き出されるわけでね。

それはもちろん、頭の中の記憶の能力もアップしますが、自分自身が今までやったこと、過去やったことで、これは使えるぞ、というのを引っ張ってくるわけですから、できるわけですよね。

それでまた、もうそのことは天は充分承知で、絶対に乗り越えられないことというのをさせるわけがないしね。自分自身はどの程度の能力、この人の頭はどの程度の能力、体験はどの程度だ、というのをみんなわかった分かった上で試練というのを出しますから。逃げちゃだめ、ということね。ほんとにね。

ほんとになかなかウェルカム、ウェルカムトラブル、というわけにはいかないでしょうけど。でも困難があるということは、ああ、なんかこれは一つ成長できるきっかけだな、というふうに思うこと、ということですね。

なかなか始まらないことを始めてくれた、ということ。有り難いということをまず、一番目に思うこと。

達弥西心


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2009年09月30日

●三つ目の「へそ」は、「有って、無くなる」「在って、無くなる」 - HMU 達弥西心

では、最後のへそ、三つ目のへそにいきます。

三つ目のへそはですね、「始まって、無くなる」、ということですね。ここでは、「人生は始まって終わるのではなく、有って、やがて無くなるのだ」、ということですね。これが三番目のへそ。

私は、いつも人生というのは、生まれて生きて死んでいくことだという話をしますが、正しく言うと、生まれてではなく、有って、出現して、有る。有って、そして無くなる。跡形もなく無くなるのが、人生。

そこで、この無くなるという意識をきれいに分かっていかないと、この宇宙というのが理解できない。どこか少しは残っていくんではないかな。残って欲しい、というのがあったとしても、残っていくんじゃないか、残せるんじゃないか、と思っているところに問題があって、跡形もなく消えていくという、消していくという、それが大事なことだと言うんですね。

すなわち自分が生まれて生きていく時間が80年だとすると、次に来る人たちも80年生きたいわけですから、順繰りになって、要するにこれはもう、いなくならないと始まらない、というわけです。

だからあの、ラストライブの最後の時に言ったんですけど、冗談みたいに言いましたけど、実際そうなんですよね。あの、団塊の世代という人たちが、時代をつくってきました。戦争に負けてから、一気にそれで急上昇していくでしょ。経済成長を。でもその人たちはみんな、あの団塊の世代の人たちが頑張ったんですよね。

頑張ったんで、それで機械化がどんどんどんどん進んでいく。それで、ここで大事なのが、キーワードが電子化なんだよね。電子化の時代というのは後の、団塊の世代の後の人たちの独壇場というか、現場なんですね。

そうすると、団塊の世代たちは、ここで機械化がここまで進んできて、今ほんとにね、世の中のこと全部、機械化が進んだと言っているけれども、電子化ですよね。電子化が進んだんですね。

それは、私、大学の五年目にですね、「経営機械化論」という講義を取って、それを、おお!と思ったのが、コンピュータはどういう仕組みなのか、というのを教えるんです。それはコンピュータというのは、当時ね、教える先生もですね、経営を機械化するためのものだと思って、機械化を進めるためのものがコンピュータだと思っていたんです。

だから、例えばそろばんでやっていたような人たちが、どんどん仕事がなくなる、ということをすごく危機感を覚えた時代なんですね。それで大きなコンピュータが入ってくると、仕事がどんどんなくなる、というふうに思ったんですけど、実はそういうふうに思ったけれども、そういうふうな機械化じゃないんだ。コンピュータは電子化なんだよね。

電子化というのは、機械というのはこうやってポンと押すと、その力がトンとかかって、答えが出てくる、という仕事ができるわけだけれども、電子化というのは電子に換えて動くわけですから、もう全然、霊界の世界というか、それに近いんだよね。

だから例えば東京まで行くんだったら、ちゃんと電車に乗って行かなきゃいけないのが、ポーンと行ってポーンと帰って来られる、という世界。電子の世界になっていった。

ということは、これから最後の時にひと花咲かせるのは団塊の世代が咲かせると思いますが、団塊の世代がたくさんいるということは、一気にたくさんいなくなります。

ガガガッといなくなる。そうして全く新しいところ、新しい時代というのが姿を現してくると思います。

これはもう予測というか、霊界も言っているんですけど、これから変わるところが一番大きな問題、ポイント。そうなってくると、人間は人口がドッと減ってくるね。多いところが減るわけですから。多分これから、たくさん新聞とかテレビで、有名人だったり、結構名前知っている団塊の世代が随分頑張っていたから、人も多かったから、頑張っている人がたくさんいたよね。それが次々に亡くなってくるよね。

それでそれが寂しいな、じゃなくて、それを送ったことで、全く新しい世界ができてくる。その時に人口をどれだけ少なくしてやっていくか、ということが、どうも霊界のポイントですね。少子化の問題は霊界の意図のような気がします。だから今の、新型インフルエンザの問題、あれは不気味ですよね。

今回の、みんなのあの慌てようというのは、なんていうか、予防ができないし、かかっちゃったらどうするの、見守るしかない、ということで慌てているわけですよね。だからもう、免疫力のある人、あるいは、自分自身との対話をしっかりする人しか残らない、というかね。というふうに思いますね。霊界の都合から言うとそうだよね。

天から言うと、そうやってちゃんと生きてくれる人だけを残して。しかも人口を減らしていこうというところに持っていきたいわけだと思うのです。

だから、始まって無くなる、というね。人生は始まって終わるんではなく、有って無くなるんだ、ということね。無くなるということを大事なポイントとして捉えてください、ということです。そしてそれが四つあります。

達弥西心

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2009年09月29日

●明らかになる七番目、「明らかになるたびに自分の念い方が変わっていく」 - HMU 達弥西心

そして七番目。いろんなことを今、六つ話をしましたけれども、いろんなことが明らかになっていきます。「明らかになるたびに自分の念い方が変わっていく」ということです。明らかになるたびに自分の念い方が変わっていく。少しずつ、少しずつ変わっていくんです。変わっていくと、念い方が変わっていくと、現象も、自分を取り巻く現象もどんどん変わっていきますよね。ああ、分かった。そういうことだったのか、と分かってくると、だんだん天の意志に近づいてくるということですよね。

分からないままにやっていたら、人間の勝手な念いで、こうじゃないか、ああじゃないか、こうに違いない、というふうに思い込んでやりますが、そうじゃない。そういう仕組みではない。

いくら念いが全部通じるとか言ってもですね、それは天意に沿っている、というかな、なければどんなにしても。頑張ったら全部うまくいくか、と言ったらそうはいかないんです。頑張る時に必ず天意に沿って頑張らないとならない、というのはそういうことですね。はい。ということです。これが二つ目のへそです。

達弥西心

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2009年09月28日

●明らかになる六番目、「目に見えない世界の原因の根源、もともとのおおもとは念いであること」 - HMU 達弥西心

では、六番目。「目に見えない世界の原因の根源、もともとのおおもとは念いであること」。念いである、ということです。

どう思ったか、強くそれを思えば思うほど、鮮やかにそれを描けば描くほど、その通りになってくる、という。その通りになってきます。目に見えない世界の原因の根源は念いである、ということは、天は、念いのかたまりである、ということですね。

天ってなんですか?と、意識体とかなんとかと言っていますけど、要するに、念いのかたまりだよね。その小さなかたまりが、自分自身だよね。念いだから見えないんだけれど。

その自分自身を動かすのが、自分自身と会話する方法は、この念いで一致しないとダメだ、ということ。だから、最初に話した話につながってくるんですけど、どういう念いで聞いたか、と言うことですね。一番大事なことは、天はどうしたいのか?ということにつながってくるわけだから、天はどうしたいんですか?自分自身はどうしたいんですか?ということの「自分との会話」をしていけば、どんどんどんどん「自分との会話」が進んでいくけれども、自分がどうしたいんだけど、と言った時にこれが自分自身や天と念いが合えばいいんだけど、合わなかった時はことごとくズレていく、あるいは「自分との会話」が進まなくなっていく、何を言っているかさっぱりわからなくなってくる、ということですよね。

ですから、大事なキーワードは何かと言うと、『自分自身の念いになって、自分自身の身になって「自分との会話」すること』だね。天の念いに沿って「自分との会話」する、天の身になって「自分との会話」すること、ですよね。だから、天は念いのかたまりである、ということ。それがだんだん分かってくる。明らかになってくる。

今のことでついでに、現象というのは、この世に起こる現象というのもそう、モノにならなくても、こういうことを人が行動するとか、何とかというのは、念いがつくるわけですね。だから人を殺してやろうというのは、その人を殺してやりたいという念い、消してしまいたいという念いがつくるわけですよね。全部。人々の動きもそうですよ。

そういうふうに動きやすい時流と動きにくい時流というのがありますけれども、その方は時流鑑定の方で出していかなければいけないけれどもね。

でも、念いがつくる。全然念いのかかっていない現象というのは起こらない、と。絶対起こらないということ。念いのかかっていないモノというのは出現しようがない、ということだね。出現できないということですね。

達弥西心

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2009年09月27日

●明らかになる五番目、「原因と結果の法則をもって二つの世界を理解する」 - HMU 達弥西心

そしてそれを分かるためにはですね、五番目。「原因と結果の法則をもって二つの世界を理解する」ということです。

この見える世界・見えない世界というのを、分からないと言ってしまうと分からないから、これをなんとか分かろうとするためには、必ず原因があって、必ず結果が起こる、というね。

原因・結果、因果律の法則というのは、この見える世界と見えない世界、見えない世界があって、見える世界が後に付いてくるという、そういうことですよね。そういうことを理解すると、二つの世界を理解することができる。はい。原因と結果というのは分かりますね。こういう原因があるからこういう結果が起こるということだよね。

ただし、ここでたいていの人が陥るのは、見える世界の原因と、見える世界の結果。

これも確かに因果の法則としてありますよね。

例えば、自転車のペダルを回すと、チェーンが回って車輪が動くという、これは見える世界の力のかけ方、見える世界の結果ですよね。

それから、犯罪を裁く時というのは、必ず証拠があって、原因があって、結果があるよね、という。だけど一番分かりやすいのは、この間の中央大学の教授の、やっぱり嫉妬だったんですよね。まあはっきり分からないですけど、たぶん身内、生徒か、同僚か、誰かだろう、というふうに思っていましたが、案の定そうでしたよね。教え子だったと言うんですけれども、これなんかで言ったら、動機を話さない。「動機は今は言えない」と言っていますけど、それは恐らく目に見える世界の絶対に説明のつかないもの、というのがあるはずです。

だから目に見えるところで殺したよね、という、これで裁かれます。殺したと、間違いなく殺しました、と言ったら、この人は殺人罪で起訴されます。裁判で刑が確定します。

これはこの世の世界の目に見える原因があって、殺したという原因があって、目に見える結果、裁かれる、という結果になってきますね。

これが、みんなは原因と結果の法則、と思っていますけど、なんでこの人を殺したの?なんで殺したいと思ったの?というのは。目に見えない世界だよね。心の中ですよね。

恐らく心の中で自分自身同士のいろんな嫉妬とか何かがあって、もうこれはやらないとどうにもならない、と思ったはずです。それでやっていますよね。だからこの殺したというのは結果だよね。ある意味で。目に見える世界ではじめて起こしたことが結果なんです。目に見えない世界で、心の中でどう思ったか、という原因があって、そして結果が起こっていますよね。その結果はまた原因となって、結果となるわけですから、必ずこういうふうに動くわけですね。

そうすると、ここの部分が何なのか、ということが目に見えない世界の分野。でも、ここの世界で原因を作らなければ、ここで殺す、という結果は犯さなかったはずですよね。これが何なのか、ということ。これが重要に関わってきている。重要と言うよりも、すべて関わっているよね。これがもしなかったら、この原因がなかったら、これにはならないから、絶対に、ですよね。

だから前も言いましたけど、ずっと昔にも言ったけど、泥棒というのは、人のものを盗ったら泥棒になりますけども、盗ろうと思ったけれども盗らなかったら泥棒じゃないんですよね、この世の法律では。

だけど霊界から言うともう、盗ってやろう、と思った時点で、その人は泥棒なんですよね。泥棒なんです。そういうことは目に見えない世界に原因がある、ということだね。原因と結果の法則というのは、そういうこと。

必ず原因は目に見えない世界に求めること。結果は目に見える世界に求めること。そうするとはじめて、目に見える世界と見えない世界の関係が分かってくる。分かりますね。

達弥西心

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2009年09月26日

●明らかになる四番目、「もちろん見える世界の理解だけでも分からないことがある」 - HMU 達弥西心

四番目。「もちろん見える世界の理解だけでも分からないことがある」ということ。

これは分かりますよね。見える世界だけじゃ、説明のつかないことがありますよね。

ということは、さっき言った三番目は、見えない世界のことだけの理解だけでは分からないことがある、ということ。けれども見えない世界のことをよく分かる人が人生うまくいっているか、というと、そうではないですよね。

逆に言うと、見える世界に自信を持っている人がいたとして、でも不思議なことにこれが、なんかうまくいかないんだよね、ということを感じる。両方がコラボしている、ということがよく分からないと、分からないよね。片方だけじゃないというね。

まあだいたい、こういうところに対して批判する人というのは、片方から見た見方しかしないからね。分からないんですね。逆に今度は見える世界のことしか分からない人にいくら説明してもまた分からないしね。

そこでやっぱり大事なことは、真ん中にまたがるようにしてやっていく、逆の天のはたらき、逆の理解というか、やっぱりとても大事なところですよね、ということを言っているんですね。

達弥西心

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2009年09月25日

●明らかになる三番目、「見えない世界の理解。見えない世界はこういうことなんだという理解だけではわからないことがある」 - HMU 達弥西心

次、三番目。見える世界の見えない的理解が大事だ、と言っているんですが、「見えない世界の理解。見えない世界はこういうことなんだという理解だけではわからないことがある」ということです。

はい、これが意外と陥りやすい。私は見えないことがよく分かる、という人が陥りやすいのが、ここだよね。見えない世界はこうなって、こうなっている、と。もう幻想の世界というか、自分が想像の世界だけで、あるいは見えないことが感じる、という人たちがみんな分かるかというと、分からないんだよね。見えない世界だけの理解では分からない。なぜならば、この世を今生きている我々は、見える世界を生きているわけだから、見えない世界の理解だけでは分からないことがあるんですね。

達弥西心

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