2009年07月21日

●笑顔は真顔を隠す顔 - HMU 達弥西心

お釈迦さまは人間の生きる悲しみを「四苦八苦」と表現された。

太宰治という人はきっと生きることがとっても悲しかったのだと思う。『人間失格』を読んでそう思った。

笑顔は真顔を隠す顔だと思う。きっと太宰の人なつっこい笑顔は自分の悲しい顔を隠していたのだと思う。初めて人間をやるのって、生きるのに慣れた人と付き合うのは、けっこう疲れるものだと思う。矛盾だらけだと思ったに違いない。

しかしなんとか生き延びているとだんだん慣れてくるもの。

だからといって、生きる悲しみが無くなったわけではない。さあ、どう生きる?

達弥西心

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2009年07月20日

●自分という存在のことを意識から消す - HMU 達弥西心

生きていく悲しみを消すには、人間が(目に見える)存在でなければよいということになる、それが結論だ。本来は無いところに在ったのだから矛盾なのだ。無いと在るは矛盾なのだ。人間は人間として存在したその瞬間から矛盾以外の何ものでもない。
無くなるまで矛盾し続ける。そう、矛盾そのものが悲しみなのだ。人間が生きていくことが矛盾であり、悲しみなのだ。

ならば、どうする?

自分のことでなく、先に相手のことを考える。

そうすれば自分が消える。自分のことが消える。自分の悲しみが消える。自分という存在のことを意識から消すのだ。

その人の悲しみをわかってあげてその悲しみを埋めてあげることが、人としての優しさであり、成功するつきあい方である。

達弥西心

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2009年07月19日

●四苦八苦(しくはっく)という人生上の八種の苦難 - HMU 達弥西心

お釈迦さまが、人間には八つの苦難がある、と説かれた。

四苦とは、生まれること、老いること、病にかかること、死ぬこと、の「生・老・病・苦」のこと。八苦とは、四苦に愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)、怨憎会苦(怨み憎む者に会う苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五陰盛苦(五陰という現象界の存在の五種の原理から生ずる心身の苦しみ)を加えたもの。
ここで四苦八苦について詳しく解説するつもりはない。ただ、これらのすべてのことは、人間が(目に見える)モノとして存在することに起因している。

ということは、人間が(目に見える)モノでなければよいということになる。存在しなければよい。そうすれば四苦八苦の悲しみから逃れることができる。

なぜ生まれてきたのだろうとぼやくのだけはよそう。生まれてきたのだから生きていくのだ。気がつけば生まれていたのであるから、いつまでも突っ立っているわけにいかないから、生きていくのだ。踏み出すのだ。

生きていくためには乗り越えなければならない。その悲しみをどう乗り越えるかを考えよう。

達弥西心

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2009年07月18日

●最強の一円玉、それより強い0円 - HMU 達弥西心

ところが、一円玉よりもっと強いのが、そしてもっと悲しいのが、0円である。

値引きはお金にとって実に悲しい。タダはどうしようもなく悲しい。試供品、サービス品で身売りをさせられる商品たちの、嗚呼悲しさよ。

お金は、しょっちゅう「遣われて」ボロボロになって「はたらいて」、仲間をたくさん連れて戻って来て「利益を出して」、初めて「役割を果たす」のだ。

タダでいい、って、タダでいいはずがない。お金はいらないのだからはたらけない、商品は価値なし同然の扱いで乱暴に放り出される、何のために生まれてきたの?ねえ?!

商品をタダで出す、値切って売る商人たちは悲しい。タダでいい、って、タダでいいはずがないじゃないかとこころの中で泣きながら、笑顔で送り出す。(ホントは)仲間を連れて戻って来いよと念じている。念じながら送りだしている。

ところが、これはタダ(無料)だからと、もらった人たちはタダ(無価値)同然に扱う。これは悲しい。タダ(無料)がホントにタダ(無価値)になってしまう。時々商人も試供品をタダ(無価値)同然に扱ってしまうことがある。それは救いようがないほどに悲しい。私は悲しい。タダは、0円は、一円よりも堂々として、もっとも強くなければならない。私は思う。


テレビで見た。賢い?主婦たちの間で流行っているモノ、「底値帳」という手帳。

毎朝新聞に折り込まれるスーパーのチラシ広告を見ながら、同じ商品の底値(一番安い値段)を手帳にまめに記録していくのだと。前の値段よりも安い値段で出ているとデータを更新していく。するとおのずとその商品の底値がわかってくる。底値で出したスーパーに「それっ!」と駆け込んで、その商品を、その商品だけをまとめて買うのだと。底値商品荒らしだ。

主婦は賢いかずるいか。どちらでもいい。しかし商人は間違いなく泣いている。その商品を安くしているのは、その店で他の定番のものも一緒に買ってほしいからなのに、と。値下げた分だけお金ははたらけなかった、商品もはたらけなかった。利益(利益は未来投資金)を出そうと頑張ってきたのに、こんな値段で、タダで、放り出されるなんて、と。思いがけないことに遭遇している。

商品やお金には「ころ合い値段」というものがある。天意というものがある。お金や商品だけを泣かせてはいけない。

達弥西心

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2009年07月17日

●一円玉は最小ながら最強なり - HMU 達弥西心

小銭の威力、10円玉の意地について考察してみた。

どうでもいいような話だが、小銭になったつもり、商人になったつもりで、読んでみてほしい。生き方提案の根幹なのだ。小銭の悲しみ、商人の悲しみがわかると、生きる悲しみや生きていくうえでの矛盾というものがわかってくる。

くりかえしになるが、090705●「ていねい」に生きるってどんなこと? でこんなことを書いた。

ていねいに生きるってどんなこと?小さなプラス(良いこと)をコツコツと積み上げる、積み重ねるってどうすればいいの?

先月は、この『今年の時流を読み砕くセミナー』(9会場)のほかに、月例講演『学校で教えない「金銭感覚」をどう身につけるか』(4会場)を講演してまわった。
その金銭感覚の話の中にこんな話がある。


お金はお札ではなく小銭のほうが大活躍するように遣う。特に一円玉が出たり入ったりするように遣う。支払はまず小銭から、しかも一円玉から順に遣っていく。みみっちいと思われているんじゃないだろうかなどと余計なことを考えなくても、間違いなく思われているから開き直って遣う。私も、宿泊したあるホテルで小銭から順に取り出して支払い、受け取った領収書をきちんと耳を揃えて折りたたんでいたら、従業員から言われた。「まあ、几帳面なんですねぇ。・・・男のくせに。」気にしない。せめて、「・・・男の人なのに。」とでも言ってくれると、と思ったけど、気にしない。実は充分に気にしている。それでもやる。貫く。ていねいに生きるのだ。

なぜか。お金は遣われるために存在するからだ。一番機会多く遣われなければならないのが一円玉、次に五円玉、そして十円、五十円、百円、五百円という順になる。小遣いと呼ばれるゆえんはそこにある。押し遣るように遣う。小銭は出たり入ったり動いているとき生き生きとはたらく。おつりとして使われるときだけ手渡されて、結果邪魔者扱いされて、大きなガラスの瓶なんかに放り込まれた小銭たちは動きたくても動けない、はたらくチャンスを奪われてつらい思いをしている・・・(後略)


大きなガラス瓶の貯金箱に放り込まれた一円玉は一杯になるためのその厚み分しか役割を果たしていない。一枚あろうとなかろうと厚み分だけの違いだ。

しかし500円支払うところに一円足りなくて499円しか手持ちがない時、一円玉は最強の一円玉になる。500円の買い物を実現するための最強の一円玉である。一円玉は小銭の中で最小であるが最強なのだ。この一円玉の悲しみをわかってあげることが人としての優しさであり、成功するお金の遣い方なのだ。商人はこの悲しみを知っていて商売をするべきなのだ。

ところが・・・(長くなるのでこの続きはまた明日)

達弥西心

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2009年07月16日

●小銭をもっと働かせてあげたいと思っていても - HMU 達弥西心

新幹線で移動中、通りがかった車内販売のお姉さんに、サンドイッチとオレンジジュースを注文した。お昼時だった。

するとお姉さん、お茶しかないんですがぁ、と言う。

えー?サンドイッチにお茶?と一応は描いてみて、いやお茶はいらない、と私。

ではサンドイッチだけですねぇ、とお姉さん。

いやオレンジジュースも欲しいんだけど、と私。

ジュースはないんですよぉ、お茶はいかがですかぁ?とゆるゆるお姉さん。

いやお茶はいらない、ときっぱり私。

はい、では670円でございますぅ、とお姉さん。

「代金はいつなんどきも小銭から順に払うのだ」と決めていたのに、お姉さんの強引な「浴びせ倒し」(相撲の決まり手)に、小銭入れの中には800円ちょっとあったことも知っていたのに、つい千円札を出してしまった。達弥西心として後悔しきり。
あれだけ「ていねいに生きる」と決めていたのに、と。小銭をもっと働かせてあげたいと思っていても、思いがけないことに遭遇すると、なかなかそうはいかない。

しかしサンドイッチにお茶はどうなんだろう(私にはあり得ない!)と思いながらも、この中のゴボウサラダのサンドイッチは絶品なんだよなと気分切り替えてフタを取ったところに、なんと!別の車内販売のお姉さんがやって来たではないか。ヤッホー!

思わず「ジュースある?」と私。

はい、アップル、オレンジ・・・、

お!オレンジジュースください!

はい、170円でございます。とんとん拍子だ。

今度は今度は小銭からだぞ、と自分に言い聞かせながら、小銭入れから拾い集めて代金を支払った。


と、お姉さん、開いたてのひらが止まっている。「あのー、170円なのですが・・」
お姉さんの手のひらの上で10円が足りない。それはそれは悲しい光景、10円玉が一枚足りない光景。10円玉の威力というか意地というか・・・、見た。

ゴメンネゴメンネ、ゴメンネ〜。


私の「お昼ごはん」が済んで、・・・ふと思った、それにしても、サンドイッチにお茶を売り付けようとしたあのお姉さんは何者なのか?もしかしてお茶売り娘の亡霊か???

新幹線伝説ってこんな感じなの?


達弥西心

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2009年07月15日

●悲しみはどこへ向かう - HMU 達弥西心

矛盾の結果、生きる悲しみを持ってしまう。この悲しみはどこへ向かうのだろう。
誰かに向かう。嫉妬に向かう。生きる悲しみの原因の本体は自分自身なのに、誰かのせいにしてしまう。それが嫉妬だ。

よい嫉妬は成る。いけない嫉妬は成らない。いけない嫉妬は時として粉々に壊してしまう。自分の悲しみは自分で片付けることだ。

生きる、悲しみ、嫉妬はつながっている。煩悩の正体。

達弥西心

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2009年07月14日

●生きていくことは悲しいことだから - HMU 達弥西心

生れてきたのだから、生きていくのだ。
人生には「たった一つの目的」というものがある。
生きているうちにと「たった一つの目的に」向かってまっしぐら。道草食ってる暇はない。
それにしても生きていくことは悲しいことだ。悲しみの正体は矛盾だ。いずれは消えるモノとして生きる人間は悲しい。それが何か? 哲学したって悲しいものは悲しい。
矛盾は呑みこむのがいい。ずっと後ろの遠くから眺めるのがいい。宇宙に生きるのだから。

自分宇宙の創造主である自分は自分宇宙で起こる問題は自分で片付けることだ。
自分で決める自分で生きる。経営者の基本姿勢。事業経営、人生経営、同じこと。
なんでも自分で決めて自分で生きていく。真のひとり歩きへの第一歩。人に頼らない。

その人の悲しみはどこにあるか。その人の悲しみをわかってあげて、その悲しみを埋めてあげることが、人としての優しさであり、成功するつきあい方である。
ていねいに生きることだ。ていねいに極めることだ。

達弥西心


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2009年07月13日

●自分で決められなかったことがきっかけ - HMU 達弥西心

私が「見えないものを見ていく方法」にたどり着いたいきさつを話そう。

29歳の夏、私は自分で事業を始めた。なりたかったわけではないが、消去法で決めて事業経営者になった。なってしまった。

社長になって経営に携わるのだが、私は経営のことがまったくわかっていなかった。
自分で驚いた。それまで勤めていた販売会社では取締役支店長をやっていたにもかかわらず、経営というものがさっぱりわかっていなかった。支店では30名のくらいの社員を率いていたから、自分が経営者になったからといって、そんなに変わりはしないだろうとタカをくくっていたところもあった。

実際に始めてみると、お客は来ない、電話もかかって来ない、どうやって売ったらよいかわからない、広告を打てばよいのかもしれないが反響がなかったらどうしよう、お金はどんどん出ていく・・・。

そんな時、ひとりの男性が訪ねてきた。初めての来客だ。お客だ!と喜んだが、コピー機の営業マンだった。

コピー機はどうしても必要だった。買おうと思ったが、買おうと言えない自分がいた。月々わずかの支払いでとクロージングをかけられるが、どうしても決められないのだ。払えるかどうかがわからなかったからだ。月々1万円程度の支払いの決裁ができない。いままで数千万円の買い物も一発で決裁していたのに、決裁ができないのだ。

「すみません、一週間考えさせてください」と願って同い年くらいの営業マン氏には帰ってもらった。「わかりました、では一週間後に」と、営業マン氏はニヤリと笑って立ち上がった。

このニヤリが達弥西心の原点だ。

なぜ買えない。なぜ決められない。

「経営とは自分で決めることだ」と思い知らされた場面だ。

いままで自分で決めていたのに、という思いは、そうだ私のうしろに社長がいてくれたからだ、社長が最終決裁をしてくれるという安心があったから決めることができたのだ、社長が決めてくれていたのだという気づきに至る。社長(経営者)とは自分のことを自分で決めることのできる人なのだと気がついた。だが遅かった。私は自分で決められないのに経営者になってしまった。

こんなことも決められない私は経営者として不適格だ、と悩んだ。悩んだが決められない。悩んでも決められない。

ふと、会社経営者(事業経営者)としてこれから先やっていけるだろうか、待てよ、会社経営者(事業経営者)の前に、人生経営者としてはどうだろう、と思った。私の人生のことを自分で決めて自分で生きてきただろうか、と思ったのだ。人生経営、Human life Managementはどうだろう、と思うと、これこそさっぱり自信がない。

「人生経営」は私の人生のどこかで取り組まなければならない課題になると予感した。人生経営大学、Human life Management University、HMUの源流が流れだした瞬間だ。もう30年も前のこと。

さる営業マン氏は憎らしいことにちょうど1週間目にやってきた。まだ迷っていた私だが、もうあのニヤリは勘弁してほしいなと、意地で!コピー機導入を決めた。
経営者は、事業経営者(社長)であっても人生経営者(あなたも私も誰もかれも)であっても、自分で決める、最終決裁のハンコは自分で押すのだ。

私が生き方提案をすることになったきっかけは、自分で決められなかったことだ。自分のことは自分で決める以外にないのだから、そのやり方を必要な人に余すことなく伝えていくことにしたのだ。

自分で決める自分で生きる、自分自身に尋ねる(自分と会話する)、見えないものを見ていく、宇宙の法則に沿って生きていく、こころを進化させていく、真のひとり歩き等々。みんな大事なこと。人生の経営に外せないことばかり。事業経営者である前に人生経営者でなければならないと思う。HMUの原点、達弥西心の原点。

達弥西心

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2009年07月12日

●時流を読み砕くという仕事 - HMU 達弥西心

私の仕事は「目には見えないがたしかにあるもの」を見えるようにしてわかりやすく伝えることだ。宇宙気学というもの、宇宙の法則というもの、原因と結果の法則というもの、自分自身と会話する方法というもの。それらを使って、今年の時流を鑑定し、読み砕く、わかりやすく伝えている。真のひとり歩きに向かっていくために、「自分で決める、自分で生きる」「自分と話ができる!」「ひとり歩きのススメ」「喜んで生きる実践学」などを教えている。見えないものを見ていく方法がある。


達弥西心

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