2009年07月24日

●0ぽっちのすすめ - HMU 達弥西心

唐突だが、今年の初め2009年2月1日11:00〜の私の講演『0ぽっちのすすめ』を再現してみよう。

はい、皆さん、おはようございます。2月です。まもなく新しい年に変わって行きますけれども、すでに時流鑑定講演会で全国を回ってお伝えしましたけれども、今年は先が見えないというか、思いがけないことに遭遇する一年、ということです。

さあ、これをどうやって乗り切るか、ということが課題であってですね、時流はもうそうなるということは確定(そう、確定)ですから、そうならないように祈ったって、そうなって行きますので。

今年の時流のだいたいイメージとしては、モヤがかかっているというか、霧に囲まれているというか、包まれているという状態の中で歩いて行くとしたら、もう目の前の、というか、目の下のですね、足元をしっかりと。見えるところは足元しかありませんので、足元をしっかりと一歩一歩進めて行く、ということになります。それが今年の生き方のコツだということです。

ですから今年は、先を見通してそれに向かってというのが難しいですから、自分のことをしっかりとですね、そう、見つめるのです。そうすると、その一番の中心である一歩一歩の元となることは、『自分にたずねること』。このことだと思いますね。

ですから周りを見てですね、どうのこうのというのが、もうまったく通用しないし、周りを見れば見るほど、自分が巻き込まれてしまう、落ち込んでしまう、という、そういうイメージだというふうに理解してください。

「これはチャンスだ」と捉えるには、「自分と会話することが必要で、会話する方法を私たちは知っているから、それを磨いていこう」というふうに切り替えること。切り替われば、とても素晴らしい一年になってくると思います。(続く)

達弥西心

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2009年07月23日

●その悲しみを喜びに変えられないか - HMU 達弥西心

七つの悲しみをどうにかして七つの喜びに変えられないものか。

1.お金を稼ぐために働く悲しみを喜びに変えるためには
 お金を稼ごうとしないこと、稼がないこと、働かないこと。そうもいかないから、天意に沿って働くこと。

2.他人と関わる悲しみを喜びに変えるためには
 他人との相違点を認識するために関わる、見本、手本、時には標的になるように関わる、与える実践をするために関わる。

3.イエの中に構成員として存在する悲しみを喜びに変えるためには
 イエを捨てること。そうもいかないから、それぞれの役割(後継する人、後継を支援する人)を正しく理解して関わる。

4.後継させる悲しみを喜びに変えるためには
 後継させないで一生一代を貫いて自分の代で仕舞うか、そっくりそのまま受け継がせるか。

5.リーダーの下に組み込まれる悲しみを喜びに変えるには
 組織に入らないこと。そうもいかないから、そのリーダーの向こうに自分の主を持つこと、リーダーともども主のもとに組み込まれること。

6.嫉妬する悲しみを喜びに変えるためには
 いい嫉妬に転換すること。いい嫉妬は成る、いけない嫉妬は成らない。

7.自分より若い人が増えていく悲しみを喜びに変えるには
 有限の命を持ったモノとして互いに存在していることを認識する。たくさんの体験を持った者とこれからたくさんの体験を持つ者として関わる。若い人たちのエネルギーをもらう代わりに老練な知恵をあげることで関わる。

自分のことより徹底して相手のことを先に考える。その人の悲しみをわかってあげて、その悲しみを埋めてあげていれば、自分の悲しみは見えなくなる。消えてしまう。

達弥西心

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2009年07月22日

●生きる悲しみはどこにある - HMU 達弥西心

生きる悲しみ(悩みのタネ)はどこにあるのだろう。

1.お金を稼ぐために働くこと
2.他人と関わること
3.イエの中に構成員として存在すること
4.後継させること
5.リーダーの下に組み込まれること
6.嫉妬すること
7.自分より若い人が増えていくこと

この七つの悲しみがつきまとう。

達弥西心


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2009年07月21日

●笑顔は真顔を隠す顔 - HMU 達弥西心

お釈迦さまは人間の生きる悲しみを「四苦八苦」と表現された。

太宰治という人はきっと生きることがとっても悲しかったのだと思う。『人間失格』を読んでそう思った。

笑顔は真顔を隠す顔だと思う。きっと太宰の人なつっこい笑顔は自分の悲しい顔を隠していたのだと思う。初めて人間をやるのって、生きるのに慣れた人と付き合うのは、けっこう疲れるものだと思う。矛盾だらけだと思ったに違いない。

しかしなんとか生き延びているとだんだん慣れてくるもの。

だからといって、生きる悲しみが無くなったわけではない。さあ、どう生きる?

達弥西心

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2009年07月20日

●自分という存在のことを意識から消す - HMU 達弥西心

生きていく悲しみを消すには、人間が(目に見える)存在でなければよいということになる、それが結論だ。本来は無いところに在ったのだから矛盾なのだ。無いと在るは矛盾なのだ。人間は人間として存在したその瞬間から矛盾以外の何ものでもない。
無くなるまで矛盾し続ける。そう、矛盾そのものが悲しみなのだ。人間が生きていくことが矛盾であり、悲しみなのだ。

ならば、どうする?

自分のことでなく、先に相手のことを考える。

そうすれば自分が消える。自分のことが消える。自分の悲しみが消える。自分という存在のことを意識から消すのだ。

その人の悲しみをわかってあげてその悲しみを埋めてあげることが、人としての優しさであり、成功するつきあい方である。

達弥西心

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2009年07月19日

●四苦八苦(しくはっく)という人生上の八種の苦難 - HMU 達弥西心

お釈迦さまが、人間には八つの苦難がある、と説かれた。

四苦とは、生まれること、老いること、病にかかること、死ぬこと、の「生・老・病・苦」のこと。八苦とは、四苦に愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)、怨憎会苦(怨み憎む者に会う苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)、五陰盛苦(五陰という現象界の存在の五種の原理から生ずる心身の苦しみ)を加えたもの。
ここで四苦八苦について詳しく解説するつもりはない。ただ、これらのすべてのことは、人間が(目に見える)モノとして存在することに起因している。

ということは、人間が(目に見える)モノでなければよいということになる。存在しなければよい。そうすれば四苦八苦の悲しみから逃れることができる。

なぜ生まれてきたのだろうとぼやくのだけはよそう。生まれてきたのだから生きていくのだ。気がつけば生まれていたのであるから、いつまでも突っ立っているわけにいかないから、生きていくのだ。踏み出すのだ。

生きていくためには乗り越えなければならない。その悲しみをどう乗り越えるかを考えよう。

達弥西心

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2009年07月18日

●最強の一円玉、それより強い0円 - HMU 達弥西心

ところが、一円玉よりもっと強いのが、そしてもっと悲しいのが、0円である。

値引きはお金にとって実に悲しい。タダはどうしようもなく悲しい。試供品、サービス品で身売りをさせられる商品たちの、嗚呼悲しさよ。

お金は、しょっちゅう「遣われて」ボロボロになって「はたらいて」、仲間をたくさん連れて戻って来て「利益を出して」、初めて「役割を果たす」のだ。

タダでいい、って、タダでいいはずがない。お金はいらないのだからはたらけない、商品は価値なし同然の扱いで乱暴に放り出される、何のために生まれてきたの?ねえ?!

商品をタダで出す、値切って売る商人たちは悲しい。タダでいい、って、タダでいいはずがないじゃないかとこころの中で泣きながら、笑顔で送り出す。(ホントは)仲間を連れて戻って来いよと念じている。念じながら送りだしている。

ところが、これはタダ(無料)だからと、もらった人たちはタダ(無価値)同然に扱う。これは悲しい。タダ(無料)がホントにタダ(無価値)になってしまう。時々商人も試供品をタダ(無価値)同然に扱ってしまうことがある。それは救いようがないほどに悲しい。私は悲しい。タダは、0円は、一円よりも堂々として、もっとも強くなければならない。私は思う。


テレビで見た。賢い?主婦たちの間で流行っているモノ、「底値帳」という手帳。

毎朝新聞に折り込まれるスーパーのチラシ広告を見ながら、同じ商品の底値(一番安い値段)を手帳にまめに記録していくのだと。前の値段よりも安い値段で出ているとデータを更新していく。するとおのずとその商品の底値がわかってくる。底値で出したスーパーに「それっ!」と駆け込んで、その商品を、その商品だけをまとめて買うのだと。底値商品荒らしだ。

主婦は賢いかずるいか。どちらでもいい。しかし商人は間違いなく泣いている。その商品を安くしているのは、その店で他の定番のものも一緒に買ってほしいからなのに、と。値下げた分だけお金ははたらけなかった、商品もはたらけなかった。利益(利益は未来投資金)を出そうと頑張ってきたのに、こんな値段で、タダで、放り出されるなんて、と。思いがけないことに遭遇している。

商品やお金には「ころ合い値段」というものがある。天意というものがある。お金や商品だけを泣かせてはいけない。

達弥西心

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2009年07月17日

●一円玉は最小ながら最強なり - HMU 達弥西心

小銭の威力、10円玉の意地について考察してみた。

どうでもいいような話だが、小銭になったつもり、商人になったつもりで、読んでみてほしい。生き方提案の根幹なのだ。小銭の悲しみ、商人の悲しみがわかると、生きる悲しみや生きていくうえでの矛盾というものがわかってくる。

くりかえしになるが、090705●「ていねい」に生きるってどんなこと? でこんなことを書いた。

ていねいに生きるってどんなこと?小さなプラス(良いこと)をコツコツと積み上げる、積み重ねるってどうすればいいの?

先月は、この『今年の時流を読み砕くセミナー』(9会場)のほかに、月例講演『学校で教えない「金銭感覚」をどう身につけるか』(4会場)を講演してまわった。
その金銭感覚の話の中にこんな話がある。


お金はお札ではなく小銭のほうが大活躍するように遣う。特に一円玉が出たり入ったりするように遣う。支払はまず小銭から、しかも一円玉から順に遣っていく。みみっちいと思われているんじゃないだろうかなどと余計なことを考えなくても、間違いなく思われているから開き直って遣う。私も、宿泊したあるホテルで小銭から順に取り出して支払い、受け取った領収書をきちんと耳を揃えて折りたたんでいたら、従業員から言われた。「まあ、几帳面なんですねぇ。・・・男のくせに。」気にしない。せめて、「・・・男の人なのに。」とでも言ってくれると、と思ったけど、気にしない。実は充分に気にしている。それでもやる。貫く。ていねいに生きるのだ。

なぜか。お金は遣われるために存在するからだ。一番機会多く遣われなければならないのが一円玉、次に五円玉、そして十円、五十円、百円、五百円という順になる。小遣いと呼ばれるゆえんはそこにある。押し遣るように遣う。小銭は出たり入ったり動いているとき生き生きとはたらく。おつりとして使われるときだけ手渡されて、結果邪魔者扱いされて、大きなガラスの瓶なんかに放り込まれた小銭たちは動きたくても動けない、はたらくチャンスを奪われてつらい思いをしている・・・(後略)


大きなガラス瓶の貯金箱に放り込まれた一円玉は一杯になるためのその厚み分しか役割を果たしていない。一枚あろうとなかろうと厚み分だけの違いだ。

しかし500円支払うところに一円足りなくて499円しか手持ちがない時、一円玉は最強の一円玉になる。500円の買い物を実現するための最強の一円玉である。一円玉は小銭の中で最小であるが最強なのだ。この一円玉の悲しみをわかってあげることが人としての優しさであり、成功するお金の遣い方なのだ。商人はこの悲しみを知っていて商売をするべきなのだ。

ところが・・・(長くなるのでこの続きはまた明日)

達弥西心

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2009年07月16日

●小銭をもっと働かせてあげたいと思っていても - HMU 達弥西心

新幹線で移動中、通りがかった車内販売のお姉さんに、サンドイッチとオレンジジュースを注文した。お昼時だった。

するとお姉さん、お茶しかないんですがぁ、と言う。

えー?サンドイッチにお茶?と一応は描いてみて、いやお茶はいらない、と私。

ではサンドイッチだけですねぇ、とお姉さん。

いやオレンジジュースも欲しいんだけど、と私。

ジュースはないんですよぉ、お茶はいかがですかぁ?とゆるゆるお姉さん。

いやお茶はいらない、ときっぱり私。

はい、では670円でございますぅ、とお姉さん。

「代金はいつなんどきも小銭から順に払うのだ」と決めていたのに、お姉さんの強引な「浴びせ倒し」(相撲の決まり手)に、小銭入れの中には800円ちょっとあったことも知っていたのに、つい千円札を出してしまった。達弥西心として後悔しきり。
あれだけ「ていねいに生きる」と決めていたのに、と。小銭をもっと働かせてあげたいと思っていても、思いがけないことに遭遇すると、なかなかそうはいかない。

しかしサンドイッチにお茶はどうなんだろう(私にはあり得ない!)と思いながらも、この中のゴボウサラダのサンドイッチは絶品なんだよなと気分切り替えてフタを取ったところに、なんと!別の車内販売のお姉さんがやって来たではないか。ヤッホー!

思わず「ジュースある?」と私。

はい、アップル、オレンジ・・・、

お!オレンジジュースください!

はい、170円でございます。とんとん拍子だ。

今度は今度は小銭からだぞ、と自分に言い聞かせながら、小銭入れから拾い集めて代金を支払った。


と、お姉さん、開いたてのひらが止まっている。「あのー、170円なのですが・・」
お姉さんの手のひらの上で10円が足りない。それはそれは悲しい光景、10円玉が一枚足りない光景。10円玉の威力というか意地というか・・・、見た。

ゴメンネゴメンネ、ゴメンネ〜。


私の「お昼ごはん」が済んで、・・・ふと思った、それにしても、サンドイッチにお茶を売り付けようとしたあのお姉さんは何者なのか?もしかしてお茶売り娘の亡霊か???

新幹線伝説ってこんな感じなの?


達弥西心

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2009年07月15日

●悲しみはどこへ向かう - HMU 達弥西心

矛盾の結果、生きる悲しみを持ってしまう。この悲しみはどこへ向かうのだろう。
誰かに向かう。嫉妬に向かう。生きる悲しみの原因の本体は自分自身なのに、誰かのせいにしてしまう。それが嫉妬だ。

よい嫉妬は成る。いけない嫉妬は成らない。いけない嫉妬は時として粉々に壊してしまう。自分の悲しみは自分で片付けることだ。

生きる、悲しみ、嫉妬はつながっている。煩悩の正体。

達弥西心

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