2017年10月16日

●風間旅人随想(2017/10)(8/12) - HMU 達弥西心

相手が描いていることを聞いていて、それが、私が描いていることと同じだったら「そのとおりでいい」と言います。それをわざわざ言葉にして伝えなくてはいけないとか、文書にして渡さなければいけないというものでもありません。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月15日

●風間旅人随想(2017/10)(7/12) - HMU 達弥西心

今、こういう説明をしている。いまこの言葉を使ったけど、この言葉はちょっと違うかなとか、そういうふうにそれを確認します。「今、こう言ったけど、どういうこと?」というふうにね。そうやってだんだん共通の言葉にしていきます。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月14日

●風間旅人随想(2017/10)(6/12) - HMU 達弥西心

私がどのようなポイントで映像を言葉にしているかというと、ほとんど映像のままで処理しています。例えばスタッフが決裁ということでやって来ます。「これこれこうで」と言い始めたら、その人が描いていることと同化するというか、入り込んでしまいます。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月13日

●風間旅人随想(2017/10)(5/12) - HMU 達弥西心

どうしても伝えなければならないのであれば、それはたくさん話すこと。それと、わかりやすく話すこと。わかりやすく話すことによって伝わることがあります。難しく話そうとか、賢そうに、かっこうよく、きれいな言葉で、とか、そんなふうに思うとだんだん遠くなります。


oitokuyo at 08:02|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月12日

●風間旅人随想(2017/10)(4/12) - HMU 達弥西心

人と話してみてもわかると思います。伝えたいことが伝わるかどうかです。なぜ伝わらないかというと、自分が伝えようとしている言葉が伝えたい映像からちょっと離れている、もしくは遠く離れていることをいくらしゃべっても、それを受け取る方側はその通りに受け取れません。そういう大きなリスクがそこにあるわけで、どんどん離れていきます。私たちは映像をアタマの中で言葉に翻訳して理解し、伝達しているのです。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月11日

●風間旅人随想(2017/10)(3/12) - HMU 達弥西心

魂は言葉の使い手ではありませんから、映像のまま意思を伝えてきます。その映像を言葉で表現しようとすると、映像から離れていくのは当然です。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月10日

●風間旅人随想(2017/10)(2/12) - HMU 達弥西心

できるだけ言葉にしない方がよいです。言葉にすることをできるだけ回避することです。言葉にしなければいけない必要性があるかどうかです。頭では描けるのに言葉にすると映像から離れていく。それは当然でしょう。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年10月09日

●風間旅人随想(2017/10)(1/12) - HMU 達弥西心

映像を言葉にしようとすると、その映像から離れていってしまう。どのようなポイントで映像を言葉にすればよいのか。私のやり方を見て、よくこんな質問を受けます。


oitokuyo at 16:43|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年09月22日

●風間旅人随想(2017/09)(8/8) - HMU 達弥西心

目的なんてどうでもいい、と流してしまうことを改めると、仕事や人生に価値が見えてくると思いますよ。
(西)


oitokuyo at 08:02|PermalinkHMU 達弥西心 

2017年09月21日

●風間旅人随想(2017/09)(7/8) - HMU 達弥西心

そういう目的を何でもいいから自分で見つけることです。ちょっと(ちょっとでいいのです)目指すものというのを作るのです。そうするとそこに向かおうとしますからね。


oitokuyo at 08:00|PermalinkHMU 達弥西心