2016年06月28日

●風間旅人随想(2016/06)(10/10) - HMU 達弥西心

はさみは紙を切るという目的を果たすために人間が作りました。だからモノにはすべて意味や目的が、存在した瞬間にあるのです。人も(目に見える)モノですから、存在する目的があるからこそ、生まれてきたのです。人も、目的を果たすために神がつくりました。はい。そういうことです。暮らしの理解です。
(西)


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2016年06月27日

●風間旅人随想(2016/06)(9/10) - HMU 達弥西心

でも私はそのわけのわからない部分は間違いなく神の領域だと思います。なぜ生まれてきたかは神の領域だからわからなくなっていて当然だと思った方がよいと思います。現実大肯定という言葉で説明できると思います。現実を一瞬たりとも疑うことなく全肯定することは、「現実にしか生きられない私たちの宿命」でさえあるのです。私の「いま」を否定した途端に私は生きられなくなる。


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2016年06月26日

●風間旅人随想(2016/06)(8/10) - HMU 達弥西心

私は、どんな会でも「なぜ生まれてきたのか?なぜ生きていくのか?その目的は何か?」という話に入りはじめたら、結局出口がなくなると思います。ですから宗教を批判する人はたいてい、「だからわけのわからないような神というものを持ってこないと片付かなくなるのだ」と言うのです。


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2016年06月25日

●風間旅人随想(2016/06)(7/10) - HMU 達弥西心

それであきらめるのではなくて、それを逆に大事な目的とするというか、生きていくことを大事なこととするのです。意思を持って一歩進むことを大事なこととして生きていこうじゃないか、ということを提案しないと、始まりません。


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2016年06月24日

●風間旅人随想(2016/06)(6/10) - HMU 達弥西心

さりげなく言っていますがこれはすごいことだと思いませんか。「生まれてきたのだから生きていこう」ということ。望んだわけでも頼んだわけでもないし、自分の意思で来たわけでもない。動機は非常に不確かな状態でここに人間という存在はいます。それを、どうして?と考えても答えは出てこないわけですから。でも、生きていかなければいけないということは確かなのです。じっとしていても腹は減るのですから食べていかなければなりません。


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2016年06月23日

●風間旅人随想(2016/06)(5/10) - HMU 達弥西心

神業ですから、はい、現実大肯定です。神業には現実大肯定です。「私は今生きている。だから生きていく」、「生きているのだから生きていこう」、しかありません。


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2016年06月22日

●風間旅人随想(2016/06)(4/10) - HMU 達弥西心

ただ、生まれてきたと言いますが、自分で生まれてきたわけでもないのです、これがね。どうにも責任の所在がわからなくなっていて、「どうして生きているのですか?」と言われてもね。…神業です。


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2016年06月21日

●風間旅人随想(2016/06)(3/10) - HMU 達弥西心

生まれてきたからだよね。この話は何度もしましたけれども、私が書いた本を読んでほしいな。生まれてきたから、仕方がありません、生きていかなければね。


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2016年06月20日

●風間旅人随想(2016/06)(2/10) - HMU 達弥西心

生き方提案をしている私によくぶつけられる質問です。


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2016年06月19日

●風間旅人随想(2016/06)(1/10) - HMU 達弥西心

人間はどうして生きているのですか?


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